九州大学生体解剖事件
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九州大学生体解剖事件(きゅうしゅうだいがくせいたいかいぼうじけん)とは、1945年に九州帝國大学医学部で米軍捕虜に対して生体解剖実験が行われた事件。相川事件とも言われる。
1945年5月、九州方面を爆撃に飛来したB-29が撃墜され、搭乗員のウイリアム・フレドリック少佐ら12名が捕らえられたが、西部軍司令部は、裁判なしで12名の搭乗員の内、8名を死刑処分とすることにした。
8名は九州帝國大学へ引き渡され、生体解剖に供された。
8名の捕虜は収容先が病院であったため、健康診断を受けられると思い「サンキュー」と医師に感謝したという。 生体解剖の指揮及び執刀は岩山主任外科部長で1945年5月17日から6月2日にかけて行われた。また軍人5名がその肝臓を試食したとされる。
岸本達郎軍医少尉の供述書によると 「1945年5月中旬頃、ある軍医が蓋のされた容器を持って来て『人間の肝が入っている。九州大学で教授らが捕虜を生体解剖した』と言った。 岸本は、軍医らが非合法の実験をやっていると感じたが止めることはできず、 軍医が肝臓から胆嚢を切り離すのを見た。 6月2日、軍医が岸本に『捕虜の肝臓を料理したから他の者にも食べさせよう』と言い、肝の料理が出た時、ほかの軍医ら数人が来てその肝を食べた。 肝を持ってきた軍医が『人間の肝』だと言うと、やってきた軍医はびっくりしたが食べ続けた。その軍医も捕虜の生体解剖の事を知っていたと思えた。 肝を食べた軍医はそれを持ってきた軍医に『“また”やったのか』と言った。 私はが肝を食べるのを見た。内科医長、歯科医も食べた。前院長も食べた。看護婦長は食べなかった。」と述べている。 戦後、戦争犯罪として裁かれた。ただし、一部被告人や東野利夫は後に自白の強要によって捏造された事件であると主張している。ちなみに裁判では複数の被告人に死刑判決が下されたが、獄中自殺した1名を除き減刑された。
遠藤周作執筆の小説『海と毒薬』は、この事件をモデルにしている。