世界救世教
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世界救世教(せかいきゅうせいきょう)とは、大本教の幹部であった岡田茂吉が立教した新宗教系の教団。現在の教主は四代目の岡田陽一。
箱根強羅、熱海、京都嵯峨野(広沢池隣接地)の三カ所に、教団の聖地と定めた神殿および庭園を有している。箱根の聖地には箱根美術館、熱海の聖地にはMOA美術館があり、所蔵の美術品を展示している。
浄霊と呼ばれる、手かざしによる病気の治療などをおこなうことにみられるように、現世救済的な宗教である。現世救済的とは、仏教などに見られるように、死後に真の幸福が訪れるという考え方(現世離脱的)ではなく、あくまでも現世での幸福が至上、という考え方をさす。過去に教義上、化学療法である薬物は本来の体の免疫を弱めるとして、薬物治療や医師の診察などは制限されていたことがあったが、現在ではその様なことはない。 また、MOA美術館などに見られるような芸術的活動や、自然農法(完全有機栽培)の推進といった活動も行われている。
[編集] 分派と和解
世界救世教は、過去において組織からの離脱や分派活動が目立つ教団であった。
それは、強大なカリスマ性を有していた教祖の死去という事件が、教団に大きな動揺をもたらしたことに端を発し、教祖の死去以降、教団の変革が激しく行われたため、教義上の理由から反対する余地が多かったことや、教団の変革のなかに各教会に経済上の不利益を課すものがあったこと、また、改革以前は傘下の教会の独立性が強く離脱しやすかったと同時に、各々の教会主宰者のカリスマ性が強かったことなどが、こうした分派活動を促した側面があると言える。
事実、分派が目立ったのは、激しく変革が行われた岡田茂吉死去の1955年以降(晴明教・世界浄霊会など)と、教団運営の中央集権化が図られた1970年以降(救世神教・神慈秀明会など)に多い。
上記団体以外にも世界真光文明教団や崇教真光など「真光系」と呼ばれる教団も、教祖である岡田光玉が世界救世教の布教師として活動していたことや、教義の酷似性などから、一般的には世界救世教の分派として捉えられている(ただし真光系教団は、教祖が世界救世教の布教師として活動していた事実を公表していない)。
その後、組織運営の主導権をめぐって世界救世教自体が、松本康嗣らの新生派・川合輝明らの再建派・中村力らの護持派に分裂した。数々の法廷闘争などを経て、三派は1997年に和解、2000年に宗教法人世界救世教を包括法人とし、三派がそれぞれ被包括法人として、世界救世教いづのめ教団(新生派)・東方之光(再建派)・世界救世教主之光教団(護持派)として独立した。
なお、世界救世教の被包括法人である三派は、和解時の合意に基づき、2010年に統一され、統合される予定となっている。一度分裂した宗教団体が再度統合する例は、宗教界においても前例がない希有な事例とされている。また、世界救世教いづのめ教団は、複数の分派教団と友好協定を結んでいるなど、世界救世教には、分派も多いが和解も多いという特徴がみられる。
[編集] 関連項目
- 下稲葉耕吉(参議院議員)(事務所MOA第1ビル8階=熱海)
[編集] 外部リンク
- 世界救世教いづのめ教団
- MOA International
- 世界救世教独立教団詳細
- 救世教関係 各教団 (消されたページの保存キャッシュ)