三迫将弘
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三迫将弘(みさこ・まさひろ、1952年4月14日生、戸籍上は読み方同じで三迫正廣)は日本の元プロボクサー。ボクササイズ発案者。トレーナー経て現在はウィン三迫ボクシングジム会長
愛媛県新居浜市で出生し少年時代から読売ジャイアンツの主砲長嶋茂雄に憧れ野球打ち込み、新田高校から広島広陵高校に転校し、高2の夏と高3の春の甲子園にレギュラーの遊撃手として出場。(広陵での同級生に佐伯和司、島田洋七は3学年上、角川博は1学年下となる)
明治大学進学が内定していたが、野球選手としては決して恵まれていない身長173cmの体格や家庭の経済状態を憂慮しプロボクサーを志し、71年4月叔父である三迫仁志の経営する三迫ボクシングジム入門し翌月プロデビュー。兄弟子のWBA・WBC世界スーパーウェルター級チャンピオン輪島功一のスパーリング・パートナーや付き人を務め、75年輪島からタイトルを奪った柳済斗に挑戦。健闘したものの6RKO負け。
77年現役引退、通算23戦17勝10KO6敗。トレーナーに転向し三原正、友利正ら名選手を育成。
トレーナー退職後、女性・一般男性向けのボクシング・トレーニング「ボクササイズ」を発案し商標登録。
現在は渋谷区でウィン三迫ボクシングジム経営。