三峯神社
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三峯神社 | |
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所在地 | 埼玉県秩父市三峰298-1 |
位置 | 北緯35度55分31秒 東経138度55分49秒 |
主祭神 | 伊弉諾尊 伊弉册尊 |
社格等 | 県社・別表神社 |
創建 | 景行天皇の御代 |
例祭 | 4月8日 |
三峯神社(みつみねじんじゃ)は、埼玉県秩父市三峰にある神社である。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。宮司は中山高嶺氏。
伊弉諾尊・伊弉册尊の二神を主祭神とし、造化三神と天照大神を配祀する。
目次 |
[編集] 歴史
社伝によれば、景行天皇の時代、日本武尊の東征の際、碓氷峠に向かう途中に三峰山に登り、伊弉諾尊・伊弉册尊の国造りを偲んで創建したという。景行天皇の東国巡行の際に、天皇は社地を囲む白岩・妙法・雲採の三山を賞でて「三峯宮」の社号を授けたと伝える。伊豆国に流罪になった役小角が三峰山で修業をし、空海が観音像を安置したと縁起には伝えられる。
中世以降、日光系の修験道場となって、関東各地の武将の崇敬を受けた。しかし、正平7年(1352年)、足利氏を討つために挙兵し敗れた新田義興・義宗らが当山に身を潜めたことため、足利氏により社領が奪われ、衰退した。
文亀年間(1501年 - 1504年)に修験者の月観道満により堂舍が再興され、以降、聖護院派天台修験の関東総本山とされ、隆盛した。本堂を「観音院高雲寺」と称し、三峯大権現と呼ばれた。
江戸時代には、秩父の山中に棲息する狼を、猪などから農作物を守る眷族・神使とし、「お犬さま」として崇めるようになった。さらに、この狼が盗戝や災難から守る神と解釈されるようになり、当社から狼の護符を受けること(御眷属信仰)が流行った。修験者たちが当社の神得を説いて回り、当社に参詣するための講(三峯講)が関東・東北を中心として各地に組織された。
明治の神仏分離により寺院を廃して「三峯神社」に改称した。明治16年に県社に列した。
当社への登拝路上に、昭和14年に三峰ロープウェイが、昭和41年に三峰観光道路が開通した。しかし、三峰ロープウェイは施設老朽化から平成19年(2007年)12月1日に廃止となった。現在は西武観光バスの急行バスが西武秩父駅から三峰口駅を経由し、山頂駐車場まで平日3往復、土休日5往復、運行されている。また、そのバスも通る三峰観光道路はアクセス道が「一方通行の狭小トンネル」で有名な駒ヶ滝トンネルを通るためアクセスにやや難がある。
[編集] 祭事
- 歳旦祭・元旦祈願祭(1月1日)
- 豆入り神事(1月第3・第4日曜日)
- 節分追儺祭(ごもっともさま)(2月3日)
- 大祭(太々神楽)(4月8日)
- 奥宮山開祭(5月3日)
- 大祓(6月30日)
- 大日祭(土用の丑の日)
- 諏訪神社祭(獅子舞)(8月26日)
- 月読祭(十五夜)(旧8月15日、旧9月13日)
- 奥宮山閉祭(10月9日)
- 大歳のまつり(12月31日)
[編集] ごもっともさま
2月3日の節分追儺祭の神事は「ごもっともさま」とも呼ばれる。豆を「福は内、鬼は外」と唱えた後、後に控えた添人が大声で「ごもっともさま」と唱和し、1メートル余りの棒の先に注連縄を巻き、根元に蜜柑2個を麻縄でくくりつけた陰茎を象った大きな棒を突き出す。五穀豊穣・大漁満足・夫婦円満・開運長寿の願いが込められ、子授けに奇瑞があると言われている。
[編集] 分祀
- 世田谷区砧
[編集] 付近の観光
[編集] 関連項目
- 山岳信仰
- 若宮八幡宮 - 川崎市川崎区にある神社。境内社である金山神社で4月に行なわれる「かなまら祭」では男性器を象った神輿で練り歩く。
- 田縣神社 - 愛知県小牧市にある神社。男性器の形をした石が祭られている。3月に行なわれる「豊年祭」では、男性器をかたどった神輿やものを担いで練り歩く。
- 大縣神社 - 愛知県犬山市にある神社。女性器の形をした石が祭られている。3月に行なわれる「姫の宮祭り(豊年祭)」では、女性器をかたどったものを、巫女たちが抱えて練り歩く。
[編集] 外部リンク
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