七里岩
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七里岩(しちりいわ)は、山梨県の峡北地方にある台地。広義には、長野県諏訪郡富士見町から、山梨県の北杜市の小淵沢町、長坂町、大泉町、高根町と須玉町の一部を経て、韮崎市の中心地まで達する台地のことを指す。
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[編集] 概要
八ヶ岳泥流と呼ばれる火砕流が形成した台地であり、南側には釜無川、東側には塩川が流れ、それぞれ侵食崖を形成している。狭義には、釜無川の侵食により形成された、川沿いに連なる高さ10mから40mの断崖のことを指す。この断崖は国道20号から見ることができる。
[編集] 伝承
南北の長さが30km(約7里)にも及ぶので、七里岩という美称がつけられたとされる。なお、正式には「しちりいわ」であり、「七里ヶ岩(しちりがいわ)」という名称は正しくない。
台地の形が舌状であり「韮」の葉に似ているので、その先端部のある地域を「韮崎」として、韮崎市の地名発祥のひとつになったとされる。
[編集] 地理
- 地形
台地の上は一部に残丘を残し、おおむね平坦である。しかしながら、水利に恵まれていなかったので、台地南部の韮崎や須玉地区は近代に入るまで開発が進まなかった。現代では、桃などの生産が行われている。
一方、台地北部は、八ヶ岳からの湧水により水利にとても恵まれており、江戸時代には、甲斐国の中でも有数の米生産地であったとされる。
- 地域
小淵沢町、長坂町、大泉町および高根町は、その町域のほとんどがこの台地の上に存在する。中央本線や中央自動車道は 韮崎市を過ぎるとこの台地へとのぼり、長野県へと通じている。
台地の崖下を流れる釜無川と塩川には、それぞれ平行して甲州街道と佐久甲州往還が走っていた。現在では、それぞれ国道20号と国道141号に相当する。
近世においては、逸見路(へみじ)や信州往還(甲州街道原路)、信玄の棒道といった交通手段が存在し、それぞれ甲府から信州までの道を結んでいた。なお、信州往還は、現在の長野県道・山梨県道17号茅野北杜韮崎線(七里岩ライン)に相当する。
[編集] 歴史
台地北部は湧水に恵まれ、長野県富士見町の井戸尻遺跡、山梨県北杜市(旧北巨摩郡大泉村)の金生遺跡、同市長坂遺跡(旧同郡長坂町)、韮崎市の坂井遺跡など縄文時代の遺跡が分布する。また、中世城郭や砦も多く、韮崎市には台地の残丘を利用した新府城など、武田氏の構築した城塞が存在する。ほかにも、能見城や谷戸城などもある。甲斐源氏の初期の活動舞台であるとともに、最期の場所でもあるとされる。台地南部では水利に乏しいため桑畑となり、第二次世界大戦中には防空壕として利用された。
[編集] 関連項目
- 山梨県
- 韮崎市
- 北杜市
- 逸見筋
- 長野県道・山梨県道17号茅野北杜韮崎線(七里岩ライン)