ロザリンド・フランクリン
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ロザリンド・エルシー・フランクリン(Rosalind Elsie Franklin 1920年6月25日 - 1958年4月16日)はイギリスの物理化学者、結晶学者である。石炭やグラファイト、DNA、タバコモザイクウイルスの化学構造の解明に貢献した。
ロンドンのユダヤ人の家庭に生まれた。ハーバート・サミュエルを大叔父に、ノーマン・ベントウィッチを叔父に持つ。
ケンブリッジ大学のニューナム・カレッジで学び、フランス留学後の1950年にロンドン大学のキングス・カレッジでDNAの構造研究に没頭。1953年にDNAの二重螺旋構造の解明につながるX線回折写真を撮った。
しかし、フランクリンはDNAの研究をめぐり、彼女が来る以前からDNAを研究していたモーリス・ウィルキンスとしばしば衝突していた。そして、ウィルキンスはケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所に在籍していたジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックに彼女の撮影した写真を見せる。このことが、二重らせん構造解明の手がかりとなったが、後に大問題となった。
この時の事情について、ワトソンとウィルキンスの言い分は異なっている。ワトソンは、著書『二重らせん』で、ウィルキンスがフランクリンと険悪な関係に陥ったために写真を自分たちにこっそり見せた、と述べている。しかし、ウィルキンスは著書『二重らせん 第3の男』で、あくまでフランクリンのデータを閲覧する権限が自分にあり、フランクリンもそれを認めていた、と釈明している。
1962年にワトソン、クリック、ウィルキンスがDNAの構造解明によりノーベル生理学・医学賞を受賞したが、フランクリンは1958年に37歳の若さで卵巣癌と巣状肺炎により死亡したため、受賞の栄誉は得られなかった。実験のため大量にX線を浴びたことが癌の原因だと言われている。
フランクリンは、ワトソンの『二重らせん』で「気難しく、ヒステリックなダークレディ」と書かれるなど長い間否定的な評価をされてきたが、1980年代に入ってようやく彼女の業績が再評価されるようになった。
[編集] 評伝
- 『ダークレディと呼ばれて-二重らせん発見とロザリンド・フランクリンの真実』:ブレンダ・マドックス著 /福岡伸一訳(化学同人、2005年)ISBN 978-4759810363
[編集] 外部リンク
- Rosalind Elsie Franklin - Find A Grave