リカルド・リデル
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リカルド・リデル(Rickard Rydell, 1967年9月22日 - )は、スウェーデン・ストックホルム出身のカーレースドライバーである。レース雑誌やテレビ番組ではリカルド・ライデルと表記されることもよくある。
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[編集] 経歴
[編集] フォーミュラカー
1984年、1985年にスウェーデンカート選手権(100cc部門)でチャンピオンとなった。
F3においては、スウェーデンF3(1987年、1988年)、イギリスF3(1989年、1991年)、全日本F3(1990年、1992年、1993年)、と、実に7年もの長きに渡って様々な選手権に参戦した。この間、1989年のイギリスF3ではエディ・ジョーダン・レーシング、全日本F3ではいずれの年もトムスに所属した。
マカオグランプリでは1989年に3位表彰台、1991年のレースではポールポジションを獲得、続く1992年には優勝を獲得する活躍を見せた。
1990年には国際F3000にも参戦している。
[編集] ツーリングカー
1994年に日本からヨーロッパへと戻り、イギリスツーリングカー選手権(BTCC)への参戦を開始した。
初年度はボルボが投入した車がレースに不向きなステーションワゴンタイプだったこともあり苦戦を強いられたが、翌年はセダンタイプが投入されたため、リデルは24レース中13レースでポールポジションを獲得するという、圧倒的な速さを見せつけた。しかし、リデルはスタートを苦手としており、せっかくのポールポジションをフイにすることもしばしば見られた。そのため、優勝はポールポジション獲得回数を大きく下回るわずか4回に留まり、また、終盤ボルボが不調に陥ったこともあり、最終的なランキングも3位に終わった。
BTCCでは、この後も1996年、1999年、2000年はいずれも3位で終えており、チャンピオン争いには絡むものの、最終的にそれを逃すというシーズンを多く送ったが、1998年には念願のタイトルを獲得している。
2001年は、ヨーロッパツーリングカー選手権(ETCC)への参戦準備を始めたボルボのためツーリングカーから一時離れ、FIA GT選手権にプロドライブチームから参戦した。リデルはA1リンクとハラマのレースにおける優勝に貢献し、同チームはフェラーリ550 マラネロ勢の中ではトップとなるランキング5位を獲得した。
2002年以降はETCCに参戦し、2004年にチームをセアトに移し、2005年に同選手権が世界ツーリングカー選手権(WTCC)となり、以後2シーズンに渡って走った。2007年は同選手権におけるセアトの活動縮小に伴い一旦シートを失ったため、またしても一時ツーリングカーを離れ、アストンマーチンのワークスチームからル・マン24時間レースに参戦。総合5位、GT1クラス優勝という結果を残した。WTCCにもル・マン後に地元スウェーデンで開催されたレースでシボレーからスポット参戦し、第2レースを劇的な追い上げの末に優勝。その後、シーズン終盤にはBMWと僅差でタイトル争いを繰り広げていたセアトから請われてチームに復帰した(WTCCで1シーズンの間に複数のチームから参戦した初の例)。
2008年にはセアトから再びWTCCにフル参戦する。