ミント神戸
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ミント神戸(ミントこうべ)は、神戸市中央区三宮にある神戸新聞社所有のビルディング。阪神・淡路大震災前に同位置に存在した神戸新聞会館(こうべしんぶんかいかん)についても本項目で述べる。
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[編集] 概要
[編集] 神戸新聞会館
[編集] 竣工から被災まで
1956年、それまで兵庫区新開地にあった神戸新聞、デイリースポーツの本社機能を中心に、日本国有鉄道(国鉄、現・西日本旅客鉄道(JR西日本))三ノ宮駅の目前の場所ということで、商業施設・映画館も兼ね備えた総合ビルディングとして建築され、地元の市民からも親しまれた。設計者は村野藤吾[1]。北側の壁面には、富士山が描かれた山一證券の巨大広告があり、「神戸の富士」と言われ名物になっていたほか、三宮交差点からも見える西側の壁面には電光掲示板を備え、1行文字を流すことでニュースを伝えるという新聞社屋ならではのサービスもあった。
なお、三ノ宮駅の目前の場所に本社機能を構えた背景には、モータリゼーション以前であった竣工当時は、記事輸送・新聞配送とも鉄道に大きく依存していたことが挙げられる。実際、三ノ宮駅の西口と新聞会館との間には、両者を直通する専用の地下通路があり利用されていたと言われているが、震災直後にすべて撤去されている。
[編集] 被災後
1995年1月17日の阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)により、同ビルは崩壊の危険がある全壊に近い被災をする。一時は、新聞の発行が困難になりそうになったが、災害協定を結んでいた京都新聞の協力により無休で新聞を発行して生々しい震災の状況を伝えた。
1995年2月、神戸新聞社は、登記上本社を西区室谷の製作センターに、社屋を神戸ハーバーランド・ダイヤニッセイビルに暫定的に移転する。その後、当会館は解体工事が行われて整地され、暫定的に駐車場として開放される。本社・社屋については1996年から同社が運営する「神戸情報文化ビル エコール・マリン」に正式に移転した。
[編集] ミント神戸
2004年から震災復興10年を契機として神戸新聞会館の再建工事が実施されることとなり、神戸新聞社自体は入居しないものの商業・オフィス複合ビルとして2006年10月に完成・オープンした。「神戸新聞会館」をビルの正式名称として引き継いだうえで、新たに、愛称を「ミント神戸(M-INT KOBE)」と定めた。なお、「ミント神戸」の愛称が採用された当初は、地下1階から9階までの商業施設部分の愛称とする見込みであったが、開業のころになると、ミント神戸の知名度が大きくなり、結局、建物全体において「ミント神戸」の愛称が使われるようになった。
地上18階・地下2階建て、延べ床面積約41,000平方メートル。地下1階には阪神百貨店の食品売り場である「さんのみや・阪神食品館」が入り、ファッション、グルメ、8スクリーンのシネマコンプレックスなど65店が入る複合商業ビル。他に献血ルームが当館15階に入居している。1階には高速バスの三宮バスターミナルの機能を備える。
また、ビル東側のサンシティビルと「雲井マリン・ロード」という地下道で結ばれた。震災前、サンシティビルができた当時、秀味街とプランタン神戸本館(サンシティビルの核テナント)を地下でつなぐ計画があったとされるが実現せず、震災復興を経て実現したことになる。なお、秀味街は2002年ごろに閉鎖され、ミント神戸の「M-KITCHEN」として整備された。プランタン神戸本館については震災後営業再開されることがないまま閉店となり、1995年4月からダイエー三宮駅前店が入居している。
[編集] 脚注
- ^ 時代を超えたモダニズム 建築家「村野藤吾」没後20年 神戸新聞 2004年4月7日
[編集] 関連項目
- 震災前の三宮3会館
- 国際会館(神戸国際会館)
- 新聞会館(神戸新聞会館)
- 阪急会館(神戸阪急ビル東館)