マラヤーラム語
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マラヤーラム語 മലയാളം |
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話される国 | インド |
地域 | ケーララ州・ラクシャディープ諸島・ポンディシェリ |
話者数 | 約3,570万人 |
話者数の順位 | 29位 |
言語系統 | ドラヴィダ語族 南ドラヴィダ語 |
公的地位 | |
公用語 | インドの公用語の一つ、ケーララ州・ラクシャディープ諸島・ポンディシェリ |
統制機関 | - |
言語コード | |
ISO 639-1 | ml |
ISO 639-2 | mal |
ISO/DIS 639-3 | |
SIL | MJS |
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マラヤーラム語(മലയാളം)(英:Malayalam)は、インド南部のケーララ州などで話される言語である。インドで認められている22の公用語のうちの一つであり、話者は約3,570万人。マラヤラム語を話す人々は「マラヤーリMalayali」(まれに「ケラリートKeralite」)と呼ばれる。
マラヤーラム語はドラヴィダ語族に属する。言語の基本構造と正書法は、ともにタミル語によく似ている。マラヤーラム語は、独自の文字マラヤーラム文字をもっている。
目次 |
[編集] 経緯
タミル語、コタ語(Kota)、コダヴァ語(Kodava)、カンナダ語およびマラヤラム語は、ともにドラヴィダ語族の南ドラヴィダ語に属している。いずれも、タミル語への類似性はかなり顕著である。その中でもマラヤラム語はタミル語に極めて近縁の言語であり、原タミル・マラヤーラム語、すなわちタミル・マラヤーラム語族からタミル語とマラヤラム語へ分離したのは、9世紀から400~500年間のように見える。初期のマラヤラム語は、当時は方言関係にあった初期タミル語から多大な影響を受けた。このことから、マラヤーラム語はタミル語の妹と言われる。その後、不可抗力的なNamboothirisによるケラーラへの文化的生活への侵入、アラブ人との交易、北インドのイスラーム化に伴う南インドでのヒンディー意識の高揚とそれによるサンスクリット使用の増加、ポルトガルによる侵略などを経て、マラヤーラム語はインド・アーリア語派、セム語派、ロマンス語などから、タミル語とは異なるレベルの影響を受けた。この点はドイツ語(より正確にはザクセン語)と英語の関係に似ている。 このことからきわめて近縁な言語でありながら、タミル語との意思疎通はそれほど容易ではない。言語学的に見ても同一言語の方言とは言いがたい面がある。 ケーララ州とラクシャディープ諸島は、世界中で唯一マラヤーラム語が主言語となっている地域である。
マラヤーラム語の口語の文法は、次のサイトで見ることができる。[1](英語)
[編集] 文学の発展
マラヤーラム語が書かれた最も初期の記録としては、vazhappalli碑文(概ね紀元前830年)がある。マラヤーラム語の初期の文字は、次の三つの特徴から構成された。
- タミルに伝わる、/Pattu/と呼ばれる古い歌
- マラヤーラム文字にサンスクリットの特徴を埋め込むこととなった、/Manipravalam/と呼ばれる伝説
- 原住民による豊富な民謡
マラヤーラム語で書かれた散文で、現存する最も古いものは、チャナークヤ(Chanakya)のアルササストラ、Bhashakautaliyam(12世紀)に対する、マラヤーラム語による単なる注釈である。異なる時点で書かれたマラヤラム語の散文は、その時々における、他の言語から受けたさまざまレベルの影響を示している。前述のタミル語・サンスクリットのほか、プラークリット、パーリ語、ヘブライ語、ヒンディー語、アラビア語、ペルシャ語、ポルトガル語、オランダ語、フランス語そして英語。近代の文学は、詩、フィクション、ドラマ、伝記及び文学評論に富んでいる。
[編集] 文字
/vattezhuthu/(円形文字)であるグランタ(Grantha)文字は9世紀にまで遡る。これを元とした汎インド・ブラーフミー文字が、マラヤーラム文字体系の起源である。この文字体系では、一続きになった文字要素は文節として読まなければならないが、個々の母音と子音を表す要素は容易に識別可能である。1960年代にマラヤーラム文字は、それほど頻繁に結合しない子音の特別文字と、母音/u/と結合するそれぞれの子音を分配した。
現在のマラヤラム文字は、20文字の長母音・短母音・休止子音を含む53文字からなっている。初期の形式の記述は、1981年から新しい形式の記述と置き換えられた。この新しい文字体系は、900種類近くあった活字を90種類以下にまで少なくした。この体系移行は、タイプライターやコンピュータのキーボードでマラヤラム語を打ちやすくするために行われた。
1999年には、ChitrajakumarとK.H. Husseinが率いるRachana Akshara Vediと呼ばれるグループが、完全な文字のレパートリーを網羅した、900文字以上のフリーなフォントを開発した。同年には、ケーララ州の首都ティルヴァナンタプラム(トリヴァンドラム)で、エディタとともにリリースされた。2004年にはこのフォントが、ケーララ州コチ(Kochi)のコーチン(Cochin)科学技術大学から、GNU GPLライセンスでリリースされた。
[編集] 言語変化及び他言語の影響
イントネーションの種類・語彙・文法のばらつき・音韻変化は、地域、共同体、職業、社会階級、流行および記述で観察することができる。サンスクリットからの影響はマラヤーラム語全体で大きいが、高位カーストの方言で特に顕著である。また、少なくともハリジャン方言では、他のインド系言語の影響が強い。クリスチャン方言では、英語、シリア語、ラテン語、ポルトガル語からの借用語が多く、ムスリム(イスラム教教徒)方言では、アラビア語およびウルドゥー語(ヒンドゥスターニー語)からの借用語が多い。
マラヤーラム語は、サンスクリットから何千もの名詞、何百もの動詞、いくつかの語尾変化を借用している。いくつかの基本語彙はサンスクリットからマラヤラム語へそのまま使われている。インドの他の地域と同様に、サンスクリットは貴族階級や学校教育が使う言語と見なされる。ちょうど、ヨーロッパにおけるラテン語の地位に似ている。
マラヤーラム語の話者の2%を占めるNamboothiri方言においては、サンスクリットの影響は多大に制限されている。同時に、ポルトガル語とアラビア語の借用も制限されているが、数の点ではサンスクリットの方が少ない。