マグノ・アウベス
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マグノ・アウベス | ||
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名前 | ||
本名 | マグノ・アウベス・ヂ・アラウージョ | |
愛称 | マグノ、サンバ特急 | |
カタカナ | マグノ・アウベス | |
ラテン文字 | MAGNO ALVES | |
基本情報 | ||
国籍 | ブラジル | |
生年月日 | 1976年1月13日 | |
出身地 | バイーア州・アポラー | |
身長 | 176cm | |
体重 | 70kg | |
血液型 | O型 | |
選手情報 | ||
ポジション | FW | |
利き足 | 右足
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代表歴 | ||
出場 | 3 | |
得点 | 0 | |
マグノ・アウベス・ヂ・アラウージョ(Magno Alves de Araújo、1976年1月13日-)は、ブラジル出身、元同国代表選手のサッカー選手。ポジションはFW。
目次 |
[編集] プレースタイル
ブラジル、韓国、日本のクラブを渡り歩いてきたが、いかなるスタイルのチームでも能力を発揮。抜け目のないポジショニングに加え、両足からレーザーのように正確なシュートが撃てる技術が武器。特に左斜め45度のシュートのゴール率が非常に高い。
[編集] 経歴
地元のハトランスを経て、1995年にサンパウロ州のヴァリーニョスでプロ選手となる[1]。プロ入り当時のポジションは右サイドMFだった[1]。
1998年より在籍したフルミネンセでは、2000年にブラジル全国選手権で20ゴールを挙げて得点王となり、プラカール誌のボーラ・ジ・プラッタ(ベストイレブン)にも選出された[2]。2002年にはロマーリオと2トップを組み注目を集め、リオデジャネイロ州選手権を獲得した。2001年、ブラジル代表に選ばれ、FIFAコンフェデレーションズカップで3試合に出場。
2003年、初の海外移籍となる全北現代モータースへと移籍(登録名は「マグノ」)。得点ランキング2位となる27得点を記録し「サンバ特急」の異名をとった[3]。2004年、大分トリニータへ移籍し、11得点を記録。2年目の2005年は18得点を記録し、チームの中心として貢献した。2006年、2年間所属した大分の財政難もあり、ガンバ大阪に移籍。AFCチャンピオンズリーグにおいて、チームはGL敗退となったが、8得点を記録し得点王。Jリーグにおいても、26得点を挙げ得点王に輝いた。入れ替わりに移籍し、前年の得点王だったアラウージョとプレースタイルは違うものの、ストライカーとして文句なしの活躍を魅せた。
2007年シーズンも序盤はエースストライカーとして活躍も、故障が重なり満足な成績を上げられずにいた。そんな中、11月21日から練習を無断欠席してサウジアラビアに渡り、サウジ・プレミアリーグのアル・イテハドと仮契約を結んでいたことが判明[1]。契約違反であるとして、同月23日付けで制裁金を課された上でガンバを解雇された。
移籍先のアル・イテハドでも、シーズン途中での選手登録であるにもかかわらず、サウジ・プレミアリーグアル・ナスル戦(2008年1月3日)での1試合4得点を含むリーグ9位タイの通算9得点(カップ戦を含めば10得点)を挙げるなど、エースストライカーとして活躍している。
[編集] エピソード
- 2002年リオデジャネイロ州選手権のサンタ・クルス戦では5ゴールを挙げている。
- 大分時代、トリニータのスポンサーでもあるジョイフルの大分市内の店舗へ家族で食事に行き、みぞれチキンステーキを決まって注文しているのをサポーターなどに頻繁に目撃されている。
- 2004年のオフシーズンの移籍騒動で、サポーターが練習場に残留を求める横断幕を掲げた。感動したマグノは、自宅で妻と去就を相談する際に涙したという。年末、「残留するなら、それはサポーターの為だ」との言葉を残し帰国。結局翌2005年も大分でプレーした。
- 2005年Jリーグ第23節浦和レッズ戦、厳しい残留争いをする中、自らのゴールで1ヶ月ぶりの勝利をもたらす。その後インタビューで、「浦和という強いチームに勝てた。まだトリニータは死んでいない。これからと言いたい。」とコメントした。これは、いまだに大分サポーターに語り継がれている名言である。
- 2006年、ガンバ大阪移籍決定後の発表会見には、沢山のサポーターが会場に駆けつけ、別れを惜しんで涙を流し、本人も惜別の涙を流した。大分空港ではさらに多くのサポーターが別れを惜しみ、最後まで彼を称える声援は鳴り止まなかった。
- 2006年Jリーグ得点王を分け合った浦和レッズのワシントンとは2001年のコンフェデレーションズカップでともにブラジル代表だった(ワシントンからは「速いしうまい」と賞賛されている)。
- 熱心なクリスチャンとして知られ、大分時代はファンからとても愛され、周りからは頼りにされた選手。ただし、激しい闘争心の持ち主で、2006年Jリーグ第3節で古巣大分トリニータ戦で1-3で敗れた際は、試合後同僚のフェルナンジーニョにつかみ掛かっている。
- ガンバ大阪に移籍後、前年得点王のアラウージョと比較されていることに対して「彼は過去のこと」と発言したり、チームメイトとなった播戸竜二は「彼には10点取るまでまったく相手にしてもらえなかった」と語るなど、ストライカーとしてのプライドをうかがわせるエピソードも多い。
- 2006年11月26日の第33節・京都パープルサンガ(現・京都サンガFC)戦でリーグ連覇の望みがなくなりかけた後半ロスタイムに、決勝点(ハットトリック)を決め、リーグ連覇への望みを最終節の浦和レッズとの直接対決に繋いだ。冷たい雨の中であまりにも劇的な展開となり、ゴール後から号泣するサポーターが後を絶たなかった。そしてこの試合はガンバサポーターにとって語り草になっている。
- いまだに大分サポーターを大切にしており、大分のサポーターにサインするときは、大分時代の背番号である10を書いている。
- 清水エスパルスから2004年、2007年、2008年と3度オファーを受けているが全て断っている。
[編集] 所属クラブ
- 1994年 - 1995年 ハトランス(ブラジル)
- 1995年 - 1996年 ヴァリーニョス(ブラジル)
- 1996年 - 1997年 インデペンディエンテ(ブラジル)
- 1997年 アラサトゥーバ(ブラジル)
- 1997年 - 1998年 クリシューマ(ブラジル)
- 1998年 - 2002年 フルミネンセ(ブラジル)
- 2003年 全北現代モータース(韓国)
- 2004年 - 2005年 大分トリニータ(日本)
- 2006年 - 2007年 ガンバ大阪(日本)
- 2007年 - アル・イテハド(サウジアラビア)
[編集] 個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1994年 | ハトランス | ||||||||||
1995年 | ハトランス | ||||||||||
1995年 | ヴァリーニョス | ||||||||||
1996年 | ヴァリーニョス | ||||||||||
1996年 | インデペンディエンテ | ||||||||||
1997年 | インデペンディエンテ | ||||||||||
1997年 | アラサトゥーバ | ||||||||||
1997年 | クリシューマ | ||||||||||
1998年 | クリシューマ | 15 | 8 | ||||||||
1998年 | フルミネンセ | ||||||||||
1999年 | フルミネンセ | ||||||||||
2000年 | フルミネンセ | 23 | 19 | ||||||||
2001年 | フルミネンセ | 26 | 7 | ||||||||
2002年 | フルミネンセ | 23 | 10 | ||||||||
韓国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2003年 | 全北現代 | Kリーグ | 44 | 27 | |||||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2004年 | 大分 | 10 | J1 | 29 | 11 | 6 | 1 | 2 | 2 | 37 | 14 |
2005年 | 大分 | 10 | J1 | 33 | 18 | 3 | 0 | 2 | 2 | 38 | 20 |
2006年 | G大阪 | 9 | J1 | 31 | 26 | 2 | 0 | 5 | 3 | 38 | 29 |
2007年 | G大阪 | 9 | J1 | 22 | 10 | ||||||
通算 | ブラジル | ||||||||||
韓国 | Kリーグ | 44 | 27 | ||||||||
日本 | J1 | 115 | 65 | 11 | 1 | 9 | 7 | 113 | 63 | ||
総通算 |
国際大会個人成績 | ||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2006年 | G大阪 | 9 | 6 | 8 |
通算 | AFC | 6 | 8 |
[編集] 経歴
- Jリーグ初出場 - 2004年3月13日 J1 1st-1 vs柏レイソル
- Jリーグ初得点 - 2004年3月13日 J1 1st-1 vs柏レイソル
[編集] 受賞歴
- 2000年 - ブラジル全国選手権得点王(20得点)
- 2000年 - プラカール誌選定ボーラ・ジ・プラッタ(ベストイレブン)
- 2003年 - Kリーグベストイレブン、ベストストライカー賞
- 2005年 - JリーグオールスターサッカーMVP
- 2005年 - 大分市栄誉市民賞
- 2006年 - AFCアジアチャンピオンズリーグ得点王(8得点)
- 2006年 - Jリーグ得点王(26得点)、ベストイレブン
[編集] 代表歴
- ブラジル代表
- 2001 FIFAコンフェデレーションズカップ(3試合0得点)
[編集] 出典
- ^ a b "「SWITCH」ノーカット版" WEBサッカーマガジン. 2005-12-21. 2007年10月14日閲覧.
- ^ "FUNDAÇÃO MAGNO ALVES É INAUGURADA EM APORÁ" Federação Baiana de Futebol. 2007-01-16. 2007年6月27日閲覧.
- ^ "大分、逆転でホーム開幕飾った!" nikkansports.com. 2004-03-21. 2007年6月27日閲覧.
[編集] 外部リンク
- SWITCH(サッカーマガジン インタビュー)(2005年12月21日)
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