マイソール王国
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マイソール王国(英語:Kingdom of Mysore、カンナダ語:ಮೈಸೂರು ಸಾಮ್ರಾಜ್ಯ)は南インドにおいて1339年から1947年に存在した王国。1799年よりイギリス領インド帝国支配下となり、マイソール藩王国と呼ばれた。現在のカルナータカ州のマイソール(現マイスール)を根拠地とし、その歴史の多くをウォディヤール家が治めた。
1565年にヴィジャヤナガル朝が衰退するまでは、ヴィジャヤナガル朝の封建国となっていた。その後は多くの封建王国の王が独立を主張したが、ナラサラジャ・ウォディヤールとチッカ・ウォディヤールの治世に周辺国を併合し、現在のカルナータカ州の大部分を支配する強大な王国となった。
18世紀末には軍事力がピークを迎え、マイソール王国軍の将軍ハイダル・アーリーとその息子ティープー・スルタンが自ら王に即位した。この時期、マラータ王国やインドに進出していた大英帝国、ニザーム藩王国などとの軍事対立がおきた。このうち最も著名なものが大英帝国とのマイソール戦争である。第一次、第二次マイソール戦争で勝利を収めたが、第三次、第四次で敗戦し、結果として大英帝国が王国の大部分を手中に収め、マイソールの南デカン地方の覇権の時代が終焉した。大英帝国は王朝をウォディヤール家に戻しマイソール王国を藩王国として残し、イギリス領インド帝国の支配下で間接支配を行った。ウォディヤール家は藩王として1947年のインド独立までこの地域を治めその統治期間の間、平均識字率や社会発展の面ではイギリス領インドよりもずっと進んでいてかなり近代的かつ能率の高い行政を行なっていた。その後、マイソール藩王国はインド編入時にマイソール州となった。
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