ニザーム藩王国
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ニザーム藩王国(ニザームはんおうこく)は、1724年から1948年までの間、インド亜大陸に存在した藩王国。「ニザーム」の称号を持つ、ムスリム(イスラム教徒)の藩王によって統治された。首都はハイダラーバード。ハイダラーバード藩王国とも呼ばれる。
[編集] 歴史
デカン高原に派遣されたムガル帝国の総督が自立して成立した国である。1766年にはインドに進出してきたイギリスといち早く友好条約を結び、その隷下に入った。ただし、最初の友好条約に外交権を返上する旨が直接書かれていたわけではなく、外交権の喪失は数次にわたる改定の結果によるものである。
1857年のインド大反乱ではイギリス側につき、反乱の鎮圧を支援した。名目上イギリスの「同盟者」であり、またインド最大の藩王国でもあった。イギリスが藩王国の格付けとしていた藩王を迎える際の礼砲の発数は、最高の格付けである「21発」で遇されていた。
近代化事業に熱心だった。領内には有望な石炭の鉱脈があり、綿花栽培も盛んであったため、産業開発の可能性は大いにあったと言えるが、一方でこのような事業は常にイギリス(インド政庁)の干渉を受けた。内政権はイギリスから保証されていたが、実際には藩王国に置かれたイギリス人の駐在官による内政干渉が日常化しており、自国の資本で鉄道を建設する際にも強い干渉を受けた。この結果、建設費の高価な広軌を採用することを余儀なくされ、また完成後の鉄道運営をインド政庁に握られることになり、莫大な負債を負うことになった。
インド独立の際には当初、ムスリムである藩王はパキスタンへの帰属を望んだが、西パキスタンからも東パキスタンからも遠い位置にあったこともあり、単独で独立を宣言した。一方で住民の大多数はヒンドゥー教徒であったため、彼らは独立よりもインドへの帰属を望むという状況が発生した。インド政府はインド亜大陸の中心部に独立した政権が出来るのを嫌い、1948年にインドに併合された。