ポール・シムノン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ポール・シムノン | |
---|---|
2007年ユーロキネスでのシムノン |
|
基本情報 | |
出生名 | ポール・グスタフ・シムノン Paul Gustave Simonon |
出生日 | 1955年12月15日(52歳) ロンドン、ブリクストン |
出身地 | イングランド、ロンドン |
ジャンル | パンク・ロック レゲエ オルタナティブ・ロック |
職業 | ベーシスト、ヴィジュアルアーティスト、ボーカリスト、作詞作曲家 |
担当楽器 | ベース |
活動期間 | 1976 - 1993, 2006 - |
レーベル | CBSレコード キャピタル・レコード パーロフォン |
共同作業者 | クラッシュ ハバナ3am ザ・ゴッド・ザ・バッド・アンド・ザ・クイーン |
ポール・シムノン(Paul Simonon、1955年12月15日 - )はイギリスのミュージシャン。ザ・クラッシュのベーシストとして知られる。南ロンドンのブリクストン出身。クラッシュに参加する前は画家を志していた。
目次 |
[編集] 概要
1976年にクラッシュのリード・ギタリストミック・ジョーンズに誘われた。ジョーンズはこの時シムノンにギターを教えようとしていた。しかしこの楽器はシムノンには難しすぎると判明、ジョーンズはかわりにベースを教えることにした。シムノンはバンドの名前が上がるに連れ信用され、衣装やステージの垂れ幕といったヴィジュアル面を任された。彼はまた2枚組アルバム『ロンドン・コーリング』のジャケット写真でその名を不朽の物とした。ペニー・スミス (Pennie Smith) 撮影の、シムノンがベースを叩き壊すこの写真は、パンクの象徴となった。
しばしば「ロンドンで最もハンサムな男」と称されたシムノンは、クラッシュの曲中3曲を書いている。『ロンドン・コーリング』収録の「ブリクストンの銃」、『サンディニスタ!』収録の「歪んだビート」、そしてB面曲の「ロング・タイム・ジャーク」である。彼は『コンバット・ロック』の「レッド・エンジェル・ドラグネット」で歌ってもいるが、これはジョー・ストラマーが書いた曲である。
シムノンはクラッシュのほぼ全ての曲でベースを弾いた。シムノンが弾いていないのは、
- 『サンディニスタ!』の「7人の偉人」と「ライトニング・ストライクス(電光一閃!おんぼろニューヨークを直撃)」 - ノーマン・マット=ロイ
- 『コンバット・ロック』の「ロック・ザ・カスバ」 - トッパー・ヒードン
- 『カット・ザ・クラップ』の「フィンガーポッピン」と「ライフ・イズ・ワイルド」 - ノーマン・マット=ロイ
『コンバット・ロック』でのベーストラックはジョーンズかエンジニアのエディー・ガルシアに捨てられたと考えられている。また『サンディニスタ!』の初期レコーディングではジョーンズかジョー・ストラマーがベースを担当し、シムノンはおそらく全てではなく数曲を映画『(en:Ladies and Gentlemen, The Fabulous Stains)』の撮影終了後、再録音した。
シムノンの対位法によるレゲエに影響されたラインは、複雑さとバンドにおけるベースの役割という面において、彼をその時代のパンクベーシストの一群から一線を画した存在とした。また彼は指で弦を弾くのを嫌い、普通はピックで演奏していた。
1986年のクラッシュ解散後、シムノンはバンド「ハバナ3am (Havana 3am)」を始動。バンドは解散するまでに日本で一本のアルバムを録音した。彼はセックス・ピストルズのスティーブ・ジョーンズと共にボブ・ディランのアルバム『ダウン・イン・ザ・グルーヴ (Down in the Groove)』のセッションにも参加した。
2007年現在、シムノンはクラッシュに加わる前に目指していた画家として活動している。何度か展覧会を開き、ダモン・アルバーンとのプロジェクトのアルバム『ザ・ゴッド・ザ・バッド・アンド・ザ・クイーン』からの曲「Herculean」のカバーデザインのみならず、ジョーンズのバンドビッグ・オーディオ・ダイナマイトのアルバムのカバーデザインを手がけている。
[編集] 機材
シムノンは当初4x10のコンボアンプを使っていたが、1978年にアンペグのスタックアンプを使い始め、それ以来アンペグを使用している。
彼の最初のベースは、自身でペンキをはね付けた安い模造品で、1976年から1977年まで使用した。1977年、『白い暴動』のレコーディング中にパティ・スミスから黒いリッケンバッカーをもらい、これにも彼自身がペンキを塗った。しかしリッケンバッカーの薄っぺらな音が気に入らず、平板すぎると述べている。1978年には白いフェンダー・プレシジョンベースを入手、以降白いプレシジョンベースばかりを使うようになった。
この一本はおそらく安物で、すぐに使用をあきらめ、その後数年使い続けるベースを入手。これは別のプレシジョンベースで、ボディに "Paul" と刻まれていることで知られる。彼のフェンダーはすべて黒いピックアップだが、この一本は白い物に替えられている。
1978年を通してこれをメインに使用し、1979年にはサブとして使用した。サンディ・パールマンの助言でウォルを1978年のレコーディングに使用したが、シムノンはスイッチが多すぎるこのベースが嫌いだった。
1979年に新しいプレシジョンベースを入手。これが『ロンドン・コーリング』のジャケットで叩き壊された物である。叩き壊した後には古いプレシジョンベースに戻り1980年に新しいベースを入手するまで使い続けた。それまでの彼のプレシジョンベースはすべてメイプルネックだった。
しかし1981年、ローズウッド指板のフレットレスプレシジョンベースを入手。これをその年の間使用したが、1982年にはフレット付きに戻った。そしてさらに2本の黒ヘッド、ローズウッド指板、白ピックアップのプレシジョンベースを入手。
このうち一本はバックアップ用にし、もう一本を今日までメインとして使用(この記事のトップにある写真で見られるのがそうである)。彼はサンバーストのプレシジョンをクラッシュ後期に入手。しかしこれはバックアップ用と、ストラマーが「ブリクストンの銃」で使用したのみである。
サンバーストのギブソン・EB-2も「ザ・コール・アップ (The Call Up)」、ロンドン・コーリングのビデオで見られ、クラッシュ初期にこれを持っていたのを確認できる。これはおそらくストラマーかジョーンズ、あるいは彼らの以前のバンド「The 101ers」かロンドンSSのメンバーの誰かの持ち物である。
シムノンはザ・ゴッド・ザ・バッド・アンド・ザ・クイーンでのレコーディングでアコースティックベースを使用した。
[編集] ディスコグラフィ
クラッシュ
- 詳細はクラッシュのディスコグラフィを参照
- 白い暴動、1977年、CBSレコード
- 動乱(獣を野に放て)、1978年、CBSレコード
- ロンドン・コーリング、1979年、CBSレコード
- サンディニスタ!、1980年、CBSレコード
- コンバット・ロック、1982年、CBSレコード
- カット・ザ・クラップ、1985年、CBSレコード
ハバナ3am
- ハバナ3am (Havana 3am)、1991年、キャピタル・レコード
ザ・ゴッド・ザ・バッド・アンド・ザ・クイーン (The Good, the Bad and the Queen)
- ザ・ゴッド・ザ・バッド・アンド・ザ・クイーン、2007年、EMI