ホンダ・NSR
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ホンダ・NSR(エヌエスアール)は、本田技研工業が製造していたレーサーレプリカと呼ばれる2ストロークのオートバイである。「New Sprinter Racing」の頭文字をとって車名とした。排気量別に数車種が製造されていたが、現在はレーサー車種を除き販売は終了している。
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[編集] 概要・歴史
ホンダの2ストローク車の発売は、自転車にエンジンを取り付けた1947年A型(50cc)から1953年のカブF2(60cc)で一旦終了した。それ以後20年間は2ストローク車は発売されていない。ホンダ内で「うちは4ストローク屋」という意識があったためと思われる。
1970年代に入ってからモトクロスで空冷2ストローク単気筒のワークスマシンが投入することが決定。1972年日本GPで吉村太一が優勝した。これをベースに、実に20年ぶりの2ストロークバイク「エルシノアCR250M」が市販される。ホンダはこれ以降2ストロークの技術を蓄積していく。そして2ストローク技術が確立したのは1980年発売の「タクト」であり、MVX250F、NS250などを経て、2ストローク技術蓄積を開花させたのが1986年に発売されたNSR250Rである。
[編集] 主な車種
[編集] NSR50/80
NSR50・NSR80は共に1987年発売された。当時スズキより発売されたGAGのライバルとして位置付けだが、GAGがマイクロ・スポーツもどきを目指したのとは異なり、NSR50は本物のマイクロ・レーサーを目指し、結果としてレーサー・NSR500の車体を3/4のサイズダウンモデルとして発売された。 そのサイズから俗にNチビとも呼ばれる。ライバルとして位置づけられたのはヤマハ・YSR50(後にTZM50R)であり、NSR50は各地で行われていた50ccレース(ミニバイクレース)でその性能を発揮した。
NSR80は50のボアアップ版であり、公道を30Km/hの制限なく合法的に走ることができるためのモデルといえる。こちらは俗にNッパチもしくはNはちとも呼ばれる。
共に現在は生産終了したが、NSR50については現在も行われている50ccレース用に根強い要望があることから、レース専用車両のNSR Miniとして現在も発売されている。
NSR50は大きく分けて5種類に分類できる。
1.1987年型~1988年型
デビュー当時のモデルで外見の特徴はチャンバーのサイレンサー部分がまっすぐ伸び(通称:ダウンチャンバー)ホイールは3本スポーク、トップブリッジは鉄製。
このモデルに装着されていたダウンチャンバーは50ccレースのノーマルクラスでは好評で、後期型に乗るライダーもこのダウンチャンバーを装着する者が多い。しかしサーキットでは膨張室が路面に抵触してしまうことが多く、ハンマーで少し潰してバンク角を稼いでいた。
2.1989年型~1992年型
外見の特徴はチャンバーのサイレンサー部分がシートカウルに向かって上に伸び(通称:アップチャンバー)アッパーカウルはライト廻りがシャープな形状となった。シートカウルは87~88年型と共通。
3.1993年型~1994年型
外見の特徴はホイールが6本スポークとなった。カウル類は89~92年型と同型。エンジンはシリンダーヘッドが設計変更された。しかし3本スポークのほうが強度が高く、50ccのレースでは3本スポークを愛好するライダーが多い。
4.1995年型~
大幅なマイナーチェンジ というよりモデルチェンジを行われた公道仕様の最終型である。(通称:95NSR)外見の特徴としてはアッパーカウルとアンダーカウル、タンクの形状は89年型以降と同じであるが、シートカウルが兄貴分のNSR250Rに似たテールエンドが跳ね上がったタイプとなり、(当時の現行モデルであるMC28型よりもMC21型に似ている。)素材も変更され一体成形となった。点火方式も変更され、ACジェネレーターも専用のものが付く。クラッチ回りも新設計になり それまでの年式のものとはまったく違った特性になった。また、動力性能の向上に伴いラジエータも大型のものとなった。足回りについてもまったく別物となり、フロントフォークの設計変更、トップブリッジも新設計のアルミ製、リアサスペンションもイニシャル調整ができるものとなり、シフトペダルもリンク式のものとなった。この95NSRのノーマルリアサスペンションが扱いやすく好評で初心者はもとよりエキスパートライダーもサスペンションのセッティングに困った時などに使用する者が多い。
しかし50ccレースで使用する場合にはこの新設計の電気系は不評で、94年型以前に戻すのが一般的。また、リンク式のシフトペダルは転倒時にはすぐ破損してしまうことから、取り外すライダーが多かった。
公道仕様のNSR50は、同時期のホンダワークスNSR500のカラーリングに似たものが施されていた。
[編集] NSR-mini
2006年現在も発売されている競技仕様車であり、公道を走行する必要がないことから最初から保安部品(ヘッドライト・ウインカー・ブレーキランプ・ホーン類)やスピードメータ、バックミラー・エンジン始動用のキックペダル等などは装備されておらず、形式も公道仕様がAC18に対しレース用としてRS50という型式を与えられた。当然のことながらナンバーを取得して公道を走行することはできない。
ベースとなっているのは95年型以降のNSR50(AC18)であるが、電気系統は新設計。また、最初から混合オイル仕様となっている。更にラジエータは銀色に光るアルミ製の95年型のものよりも更に大型なものが装備され、冬場はガムテープで半分ほど塞がないと冷えすぎてしまうほどの冷却効果を得られるようになった。足回りについてはフロントフォークはイニシャル調整が可能、リアサスは減衰力が調整可能なタンク別体式となり、オプションでソフトとハードのスプリングが用意されている。カウルは95年型以降と同型ながら塗装はされておらず真っ白。ヘッドライト用の穴は別パーツのゼッケンプレートで塞がれている。ホイールは3本スポーク。チャンバーはアップチャンバー。NSR-miniをレースで使用する場合、やはり電気系統を94年型以前のものに変更するのが一般的であったため、2002年に標準で94年式ACGとNSR80用イグナイターが装備されることとなった。
[編集] NSR75
スペインホンダで生産された排気量75ccのマシンであるが、車体はNSRと言うよりNS-1に近い。タンデム可能なシートが装備されており、その関係でメットインスペースになっているフロントが通常のタンクになっている。
[編集] NSR125
イタリアホンダで生産されていたモデルであり、ネイキッド仕様のNSR125F(後のNSR125F RAIDEN)とフルカウルのNSR125Rが生産されていた。日本国内でも1989年にNSR125Fが1000台限定で正規輸入モデルとして市販された。この車両は、いわゆるフルパワーモデルではなく、エアクリーナーボックスにリストリクターを装着するなどして日本国内の最高出力(馬力)規制に適合させた仕様だった。
もともと当時の欧州市場向けに企画されたモデルであり各パーツは、一般的なホンダの市販モデルでは見ることができない海外の部品メーカー製の物が多用されていた。キャブレターがデロルト社製、鋳造アルミフレーム・ホイール・前後ブレーキキャリパーがグリメカ社製、フロントフォークがマルゾッキ社製、各灯火器がパガーニ社製であり、カスタムバイクのような一流パーツメーカーの部品を使用していた。
[編集] NSR150SP/RR
タイで生産されていたモデルで、2002年まで生産されていた。近年まで輸入されていた為、日本の高速道路を走れる最終モデルとなった。
NSR250R最終型と同様の、片持式のリアスイングアームである「プロアーム」を装備。2灯式の前照灯を持つレプソルカラーのSPと、一般モデルのRRがある。日本には主にSPが輸入された。NSR250Rに比べ割安で入手できたモデルで人気もあり、生産終了後もエンデュランスから中古車両の再生という形で販売が行われていた(現在は販売終了)。
なお、HRCから販売されたレース専用車両のNSR150は、NSR150SPから保安部品を取り外し、エンジン等にレース専用部品を装着する仕様で製造された。但し、鉄フレームの強度不足などの理由からクラック(亀裂)の発生が指摘されたこと、該当するレースカテゴリー(SP150クラス等)を開催するサーキットが少なかったことなどから、レース専用車両としては短命に終わっている。
[編集] NSR250R/SP/SE
NSR250はWGPの競技車両であるワークスレーサーNSR500のレプリカで、市販車ではNSRの最上級モデルになる。大きく4車種に分かれる。初代モデルから、ヤマハTZR250R、スズキRGV250Γとの三つ巴で熾烈な2ストローク技術競争が繰り広げられ、1987年から1990年の間は毎年モデルチェンジが行われていた。
詳細はホンダ・NSR250Rを参照