ブロケード
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ブロケード | |
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品種: | サラブレッド |
性別: | 牝 |
毛色: | 栗毛 |
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生誕: | 1978年3月16日 |
死没: | - |
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父: | イエローゴッド |
母: | マリンエクスプレス |
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生国: | 日本(北海道静内町) |
生産: | 三澤牧場 |
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馬主: | 伊達秀和 |
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調教師: | 高松邦男(美浦) |
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競走成績 | |
生涯成績: | 24戦6勝 |
獲得賞金: | 2億3997万6200円 |
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ブロケードは、日本の競走馬。第41回桜花賞の優勝馬。巴賞におけるハギノトップレディとの名勝負でも名高い。主戦騎手は柴田政人で、全てのレースで手綱をとった。馬名の意味のブロケード(brocade)とは、サテン地に浮き模様を織り出した織物(もともとは絹織物)のこと。この織物で金襴緞子(きんらんどんす)もよく作られることから、オーナーが金襴緞子をブロケードと勘違いして付けたようだ。ちなみに半妹にジャカード(父:サンシャインボーイ)がいるが、この名前も織物の名前である。
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[編集] 戦績
1980年8月に函館競馬場でデビュー。1000メートルの新馬戦を2着に7馬身差をつけて勝利したが、レース後軽度の骨折が見つかり、大事を取って半年間休養することとなる。
明け4歳となり、復帰戦となったダートの自己条件戦を久々のレースながら逃げ勝ち、桜花賞トライアルの4歳牝馬特別に出走する。京成杯3歳ステークスの勝ち馬タケノダイヤに人気が集中していたが、レースは2着のアグネステスコに6馬身差をつけてブロケードが勝利。3戦無敗で桜花賞に臨んだ。 この年の桜花賞は、いわゆる「田んぼのような」不良馬場で行われ、長く降り続いた雨の影響で桜もまだ開花していなかった。前走で重馬場を克服していることもあり、ブロケードは1番人気に推された。レースでは無理に逃げることなく、3番手を追走。4コーナーで先頭に立つと、そこからは独走。追い込むテンモンに3馬身半差をつけ優勝を果たした。実況の杉本清は、「金襴緞子が泥にまみれてゴールイン」という名調子でこの勝利の模様を伝えた[1]。 続いて、二冠を目指し優駿牝馬に出走したが、距離延長への不安から4番人気という評価で、レースでも直線半ばで失速し、テンモンの13着という結果に終わった。
優駿牝馬の後は、夏の目標を函館記念に定め、短期休養後の前哨戦として巴賞に出走する。前年の桜花賞馬ハギノトップレディも登録していたこともあり、新旧桜花賞馬対決として、レース前からファンの注目を集めていた。 ブロケードは、斤量が55キロとハギノトップレディの59キロに比して斤量面では恵まれていたが、逃げ比べでは及ばないと見られ、3番人気に過ぎなかった。 レースは、ハギノトップレディが1000メートルを57秒3というハイペースで逃げ、ブロケードは2番手で折り合いをつける。 3コーナー手前で、ハギノトップレディがペースを落とした隙を見計らい一気に先頭を奪うと、4コーナーではハギノトップレディに1馬身差をつけた。ここまでは、柴田の作戦通りの理想的な展開だった。 しかし、この後ハギノトップレディがブロケードの外に出ると猛然と追い込んで馬体を併せ、ゴールまで激しい競り合いが続いた。勝敗は写真判定に持ち込まれたが、ブロケードがアタマ差及ばなかった。 この後は、予定通り函館記念に出走するも、同じ4歳のホーワセキトに4馬身差の2着に終わった。
秋は、牝馬東タイ杯から始動。牝馬限定のマイル戦では敵は無く、1番人気に応えた。続いて、エリザベス女王杯に向かうも距離の壁は厚く、アグネステスコの13着に終わった。 この後は、短距離戦を中心に走ることとなり、CBC賞を2着として4歳シーズンを終える。
翌1982年の初戦は、2月のスプリンターズステークス。前年の同レースの覇者であるサクラシンゲキを1馬身4分の3抑えて快勝した。 古馬となっての勝利は結局このレースだけだったが、これは、当時の短距離戦はハンデ戦が多くブロケードの実績では重い斤量を背負わざるを得なかったことや、レース体系が未整備で目標となるレースが少なかったことが影響している。 この後、ブロケードは6歳まで走り、掲示板を外したのは13戦中わずか3戦という高い安定感を見せ、早熟傾向が強い桜花賞馬としては珍しく息の長い活躍をした。
[編集] 引退後
函館競馬場で引退式を挙行した後、オーナーの伊達秀和氏が所有するサンシャイン牧場で繁殖牝馬となったが、目立った活躍を見せた産駒を輩出することはできなかった。 現在は、同牧場で功労馬として余生を送っている。
なお、曾孫に2006年のアイビスサマーダッシュを制したサチノスイーティー、2007年の東京ダービーを制したアンパサンドがいる。
[編集] 年度別競走成績
1980年(1戦1勝)
1981年(9戦4勝)
- 桜花賞、4歳牝馬特別、牝馬東タイ杯
- 2着 - 函館記念、CBC賞
1982年(9戦1勝)
- スプリンターズステークス
- 2着 - 京王杯スプリングハンデ、安田記念
1982年(5戦0勝)
- 2着 - マイラーズカップ、安田記念、函館記念
[編集] 血統表
ブロケードの血統 レッドゴッド系 / Nasrullah3×5=15.63% Pharos、Fairway5.5×4=9.38% | |||
父
*イエローゴッド Yelllow God 1967 栗毛 |
Red God 1954 栗毛 |
Nasrullah | Nearco |
Mumtaz Begum | |||
Spring Run | Menow | ||
Boola Brook | |||
Sally Deans 1947 栗毛 |
Fun Fair | Fair Trial | |
Humoresque | |||
Cora Deans | Coronach | ||
Jennie Deans | |||
母
マリンエクスプレス 1969 鹿毛 |
*スパニッシュイクスプレス Spanish Express 1962 鹿毛 |
Sovereign Path | Grey Sovereign |
Mountain Path | |||
Sage Femme | Le Sage | ||
Sylvia's Grove | |||
アンジェラス 1957 栗毛 |
シマタカ | プリメロ | |
第参マンナ | |||
フジトモ | 月友 | ||
神藤 F-No.7-c |
[編集] 備考
- ^ 鞍上の柴田は「馬場のいいところを走ったので、泥はかぶらなかった」と後年振り返っている
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