フランシス・ベーコン (哲学者)
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フランシス・ベーコン(Francis Bacon, Baron Verulam and Viscount St. Albans、1561年1月21日 - 1626年4月9日)はイングランド近世(ルネサンス期)のキリスト教神学者、哲学者、法律家である。
エリザベス1世の国璽尚書を務めたニコラス・ベーコンの子。12歳でケンブリッジ大学トリニティ学寮に入学。その後、ロンドンの法学院で法律を学ぶ。18歳で父を亡くした後、23歳で国会議員となり、当時、エリザベス女王の寵臣だったエセックス伯の腹心となる。1601年にエセックス伯が反乱を起こすと法律家として告発し、処刑後は事件の全貌を明らかにする公開書の作成にあたった。エリザベス朝期およびジェームズ1世期の初期には栄達に恵まれず、この時期の1605年に『学問の進歩』を出版する。1607年に法務次長になったことを皮切りに順調に栄達し、1617年に国璽尚書、翌年には大法官となるが、汚職の嫌疑を受けて失脚。4日間ではあるが、ロンドン塔に閉じ込められもした。隠退生活の中、鶏に雪を詰め込んで冷凍の実験を行った際に悪寒にかかり、それがもとで亡くなった。
「知は力なり」(Ipsa scientia potestas est)という言葉とともに知られる(出典 Meditationes Sacrae. De Haeresibus. (1597) 『聖なる瞑想。異端の論について』)。独力では果たせなかったものの学問の壮大な体系化を構想していた。体系化の構想はフランス百科全書派にも引き継がれる。
なお、主な著作のノヴム・オルガヌムの影響もあり、イギリスのろう教育が始まっている。 ろう学校を最初に設立した人物ではなく、ろう教育を最初に始めた人物であるとされている。
シェイクスピアと同時代人であり、シェイクスピアはベーコンのペンネームだという説を唱える者もいる(シェイクスピアの項を参照)。
[編集] 主な著作
- 『ノヴム・オルガヌム』(新機関)
- 人間の陥りやすい偏見、先入観、誤りを4つのイドラ(idol 幻像)として指摘し、スコラ学的な議論のように一般的原理から結論を導く演繹法よりも、現実の観察や実験を重んじる「帰納法」を主張したもので、近代合理主義の道を開いた(イギリス経験論)。
- 『ニュー・アトランティス』
- ユートピア物語。
- 『学問の進歩』
- 『随想録』
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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