フェルディナンド・アレクサンダー・ポルシェ
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フェルディナンド・アレクサンダー・ポルシェ(Ferdinand Alexander Porsche、1935年12月11日 - )は、ドイツの実業家、自動車デザイナー、服飾・インダストリアルデザイナーである。しばしばF. A. ポルシェと表記されるほか、渾名「ブッツィ(Butzi)」からブッツィ・ポルシェとも呼称される。
ポルシェの創始者であるフェルディナンド・ポルシェの孫であり、現ポルシェAGの創業者フェリー・ポルシェの長男。ポルシェ・911のデザイナーとして知られ、ポルシェ・デザイン・スタジオを創業した。
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[編集] 人物
ドイツ・シュトゥットガルトに生まれる。ヴァルドルフ学校での教育を受けた後、ウルムの学校においてインダストリアルデザインの勉強を始めるが、成績不振のため短期間で退学となった。1957年、父親が経営するポルシェ社のデザイン部門に加わった。
ブッツィがデザインに大きく関わった初代ポルシェ・911は、1963年のフランクフルト・モーターショーにおいて発表され、1965年から生産が始まった。ポルシェ911のデザインが原案から大きな変更を強いられて完成したのに対し、同じく自身のデザインであるポルシェ・904(1964年)を「自分の原案に近い」デザインであるとして最も気に入っていたという。
1972年、父親であるフェリーが監査役員会長を務めていたポルシェ社は、同族会社から公開企業へとの転換を決定、親族は経営の中枢から外れることとされた。それに伴いブッツィも離職し、自身のデザイン会社「ポルシェデザイン」をシュツッツガルトに設立した。同社による最初のデザインは1973年、スイスの時計メーカーOrfina社が製造する腕時計、クロノグラフに対するものであった。時計デザインは同社のビジネスの中心であり続け、1996年にはスイスの時計メーカーEterna社を買収している。2003年、ポルシェデザインは他のポルシェ関連企業と統合され、ポルシェAGの子会社であるポルシェデザイン・グループ社となった。
ブッツィは、現在までポルシェAG株式の約13%を保有している。2005年以降、健康状態を理由に現役を退いた。
[編集] ポルシェ一族
女系の傍流であるピエヒ家と併せて、ポルシェAGとフォルクスワーゲン・グループを支配する自動車一族である。総資産は4000億米ドル以上[1]とされる。
- 第1世代
- フェルディナント・ポルシェ - 祖父。ポルシェ創業者。フォルクスワーゲン・ビートルを設計
- 第2世代
- フェルディナンド・アントン・エルンスト・ポルシェ (フェリー・ポルシェ) - 父。元・ポルシェAG社長。ポルシェ356を設計
- ルイーズ・ピエヒ - 叔母。フェルディナンド・ピエヒの母
- 第3世代
- フェルディナンド・アレクサンダー・ポルシェ (ブッツィ・ポルシェ) - 本人
- ヴォルフガング・ポルシェ – 実弟。2007年からポルシェAG監査役会会長
- フェルディナント・ピエヒ - 従兄弟。元・フォルクスワーゲンAG会長
[編集] 関連項目
- ヴェンデリン・ヴィーデキング - ポルシェAG・CEO、兼・フォルクスワーゲンAG監査役会メンバー
- クヴァント家 - ポルシェ家と並ぶ、ドイツの自動車一族。BMWを支配