ピータールーの虐殺
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ピータールーの虐殺( ピータールーのぎゃくさつ、英:Peterloo)とは、1819年8月16日、イギリス・マンチェスター郊外のセント・ピーター教会前広場で集会に参加した群衆が警官隊により弾圧された事件である。ピータルー事件とも呼ばれる。
[編集] 概要
不況と不作による失業者が増えたマンチェスターでは、民衆が集会において議会改革・選挙法改正・穀物法の廃止を要求していた。リヴァプール伯の政府は、フランス革命に影響され国内で高まった民衆運動に対し長年警戒心をもっていたため厳しい態度で臨み、出動した騎馬警官隊と約6万人の集会参加者が衝突した。この結果11人が死亡し600人以上の負傷者が出る惨事となった。
この事件は、1815年の「ワーテルロー(ウォータールー、Waterloo)の戦い」をもじり「ピータールーの虐殺」と呼ばれるようになった。
[編集] 参考文献
- 『クロニック世界全史』講談社
[編集] 関連項目
- チャーティズム
- マルコム・アーノルド(この事件を題材として「ピータールー」序曲を作曲している)