ビョルン・アンドレセン
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ビョルン・ヨーハン・アンドレセン(Bjørn Johan Andresen、1955年1月26日-)は、ルキノ・ヴィスコンティ監督作品「ベニスに死す」のタジオ役で著名である。スウェーデンの首都ストックホルム出身。
[編集] 略歴
5歳の時父に捨てられ、それが原因で母が自殺、祖母に育てられる。ストックホルムの音楽学校でクラシックを学んだが、好みはビートルズなどのロック。友人達と13歳の頃からバンドを組み、あちこちで演奏していた。15歳になった1969年、ストックホルム郊外で撮影された青春映画『純愛日記』に端役で出演したのが、スクリーンデビューである。
1970年、ヴィスコンティが『ベニスに死す』の映画化の為に、主人公の作曲家を虜にする少年タジオ役を求めてヨーロッパ中を探していた。当時まだ、友人とバンドを組んで歌っていたアンドレセンがヴィスコンティの目に止まり、数多くの候補者の中から選ばれた。
ヴィスコンティは、数千人の候補者をリストアップし、最終的にはアンドレセンに決定したが、この模様をイタリア国営テレビRAIの依頼で、50分の特別番組『タジオを求めて』を監督している。
素顔のアンドレセンは、ごく平凡な北欧の健康的な少年であったらしい。映画の成功で、一躍アイドルになった彼のもとには、数多くの映画出演話が舞い込んだようだが、結局実現しなかった。もともと音楽に興味があったアンドレセンは、その後学園生活に復帰し、音楽活動していたらしい(『ヴィスコンティのスター群像』より抜粋)。
1983年に結婚。ストックホルムで暮らす。その後、娘(ロビン)が生まれるが、結婚前に生まれた長男を乳幼児突然死症候群で亡くし、その後離婚。