ヒンドゥー教徒による宗教的迫害
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ヒンドゥー教徒による宗教的迫害の項目では、ヒンドゥー教の信者によってなされた他宗教、無神論、無宗教への迫害について記述する。
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[編集] 宗教的迫害の背景
ヒンドゥー教における他宗教への侮蔑意識は、浄・不浄概念やカースト制度と結びついている。そのため他宗教の信者を差別する際に、ヒンドゥー教における不可触民と同様に『触れてはいけない穢れた存在』であるとすることも多い。
ただし、対象となる宗教集団が政治的、経済的に優位な立場にある場合には、あまり表立ってこのような差別的態度は取られない。そのため、このような場合にはその宗教信徒を高位カーストに準ずるものとみなすという方法がとられるケースも多い。
[編集] 迫害の事例
[編集] 仏教徒に対する宗教的迫害
カースト制度の破壊と平等の確立を説いた仏教の教えは、ヒンドゥー教の根幹への攻撃とみなされる事が多かった。現在ではヒンドゥー教に征服されその教義に吸収されてしまったものも多く、仏陀はヒンドゥー教の神の化身で、人々を惑わすために来たという説も展開されている
[編集] キリスト教徒に対する宗教的迫害
キリスト教はインドの独立を奪ったとして、キリスト教信者はヒンドゥー教の原理主義者からきわめて厳しい憎悪を向けられた。とりわけ植民地時代以降の不可触民の改宗者はヒンドゥー教の伝統的な秩序を揺るがすものとされた。
独立以降のヒンドゥー教原理主義者による暴動では、キリスト教の信者や宣教師が虐殺されたり、教会が破壊された場合もある。
[編集] イスラーム教徒に対する宗教的迫害
インドにおけるイスラームとヒンドゥーの関係は、融和・共存と対決の両方を含んでいる。近世南インドのヒンドゥー教王国は北部のイスラーム教王国の支配層を『トルコ人』『蛮族』とさげすみ、イスラーム教徒に対しても不可触民同様に扱った場合が多かった。イスラームに改宗したバラモンがヒンドゥー教に再改宗することに対して、イスラームに改宗する事は『汚れた』行いであった。
植民地支配期にはムスリムと共同した独立運動が展開されたが、ムスリムとヒンドゥーとの関係は悪化し、最終的にイスラーム国家パキスタンが樹立される事になる。分離独立時の混乱のさなか多くのムスリムが虐殺され、女性がレイプや誘拐の被害にあった。
独立後のインドにおいてヒンドゥー教原理主義者はイスラーム教徒をパキスタンと同一化して描き出し、イスラームへの憎悪をあおった。バーブリー・マスジドがヒンドゥー教原理主義者により破壊されたり、ムスリムが虐殺されるなどの事件も数回発生した。
[編集] シク教徒に対する宗教的迫害
シク教徒に対しても、ヒンドゥー教原理主義者は厳しい姿勢をとっている。また世俗主義をとったインド政府であっても、インディラ・ガンディーの支配下ではシク教徒は強制断種を強いられるなど厳しい迫害を受けた。
[編集] 関連項目
- カースト制度
- 不可触民
- バーブリー・マスジド