パンチェン・ラマ11世問題
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パンチェン・ラマ11世問題(―11せいもんだい)は、パンチェン・ラマ11世の転生霊童を巡って、中華人民共和国とチベット亡命政府(ガンデンポタン)が各々認定をして、2人のパンチェン・ラマ11世が並立している問題である。
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[編集] 2人のパンチェン・ラマ11世
- ガンデンポタンによるパンチェン・ラマ11世
- ダライ・ラマ14世のインド亡命後も、中国との協調路線を選び中華人民共和国チベット自治区に留まってチベット仏教の保護・継承に多大な貢献をしたパンチェン・ラマ10世が、1989年1月28日に心疾患で入寂すると、ダライ・ラマ14世とガンデンポタンはパンチェン・ラマ10世の転生者の探索を始め、一旦ある少年を選び出したものの、すぐにこれを放棄した後に1995年5月14日に、ゲンドゥン・チューキ・ニマという6歳の男児をパンチェン・ラマ10世の転生者として認定し、ガンデンポタンが公式に発表した。
- 中華人民共和国によるパンチェン・ラマ11世
- 中華人民共和国チベット自治区ではガンデンポタンとは別にパンチェン・ラマ10世の転生霊童を探索し、6歳のギェンツェン・ノルブを1995年11月29日に金瓶掣簽によりパンチェン・ラマ10世の転生霊童とし[1]、中華人民共和国国務院もパンチェン・ラマ11世としての即位を許可した。
[編集] ゲンドゥン・チューキ・ニマ少年の失踪
1995年5月14日に、ダライ・ラマ14世とガンデンポタンがゲンドゥン・チューキ・ニマ少年をパンチェン・ラマ11世と公式に承認後、5月17日に両親共々同少年は行方不明となる。当初、中国政府は少年及び両親の失踪との関わりを否定していたが、1996年5月28日に関与を認めた[2]。ニマ少年とその家族の消息は2008年現在でも不明。
[編集] ダライ・ラマ15世問題
現在の転生活仏制度を維持したままだと、将来のダライラマ14世の死去した場合、チベット仏教僧序列1位のダライ・ラマの転生者の指定にチベット仏教僧序列2位パンチェン・ラマが強い影響力を及ぼす。そのため、パンチェン・ラマ11世問題は将来におけるダライ・ラマ15世問題(ダライ・ラマ14世の後継)にも絡んでくる。