ネーピア
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ネーピア | |
国名: | ニュージーランド |
人口: | 56,700(都市部) |
正式名: | Napier City |
市長: | (バーバラ・アーノット)Barbara Arnott |
面積: | 106km² |
ホームページ: | http://www.napier.govt.nz |
ネーピア(Napier、ネピアとも)は、ニュージーランドの主な都市である。マオリ名はAhuriri。北島の東岸にあるホークスベイ地方に位置し、港町である。首都ウェリントンから北へ車で4時間くらい。人口は約57,000人。南へおよそ10キロ行くとヘイスティングズ (Hastings) という町があり、ネーピアとともに「双子の都市」と呼ばれている。また、ネーピアはニュージーランド有数のリンゴ、西洋梨、ワイン用ブドウの産地でもある。ネーピア港からは、冷凍肉、羊毛、パルプなどが主に輸出される。港湾都市。アールデコの町並みで有名。
1980年から、日本の北海道苫小牧市と姉妹都市になっている。これは、苫小牧市に工場を持つ王子製紙が1971年に家庭用紙事業に進出する際、その商標に、同社がネーピア市でパルプ事業を開始していた縁から「ネピア」の名を採用したため(但し王子ネピアのローマ字商標は日本語に合わせてnepiaとなっており、本来のネーピアの綴り(Napier) からは変わっている)。
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[編集] 歴史
この町にヨーロッパ系移民が移り住んだのは1800年代中ば頃である。その当時現在のホークスベイ空港やマレワ地区のあたりは海水交じりの沼地であり、当初は不衛生でコレラなどの病気が発生する可能性があるとしてあまり好まれなかったにもかかわらず、1900年代初期ごろから急速に発展していく。当時は周辺の平地は荒天時には海水の洪水の危険性があったため人々は主にBluff丘に住み、そのため当時の町の中心部は現在よりも少し北側(丘より)にあった。洪水対策として立てられたのが高さ約50センチのコンクリート製のSea Wallであり、1892年に当時のネーピア刑務所の囚人を使って立てられた。その一部は現在も残っている。ネーピア刑務所はBluff丘の中腹に存在した。今は刑務所はなくなりその建物は「刑務所バックパッカーズ」として観光客が泊まる事ができる。
1931年2月3日のホークスベイ(Hawkes Bay)地震によりネーピアは壊滅的被害を受けた。この地震で地盤が最大4メートル上昇し、沼地が耕作地や住宅地として利用可能となった。市街地の復興は当時の建築意匠の流行であったアールデコ様式で統一して行われ、現在世界で有数の「最もアールデコ様式の建築物がまとまって残っている街」となっている。
[編集] 観光
ネーピアのダウンタウンにはアールデコ様式の建築物が多くあり、街の観光のメインはアールデコ建築を見て歩くものになる。毎年ホークスベイ地震の記念日前後にはアールデコウェークエンドと呼ばれる祭りが行われ、当時の仮装をした市民でにぎわう。参加台数が100台を越すクラシックカーパレードや古典的飛行機が飛ぶエアロデコも祭りの一部として有名。隣接のヘイスティング(Hastings)とともにホークスベイのこの地区はワイナリー産業の盛んなところで、ワイナリー飲みめぐりや、ワイナリーレストランなども充実している。海に面しているが海水浴には適さない。