ドムス・アウレア
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ドムス・アウレア(Domus Aurea)はローマ帝国第5代皇帝ネロが建設した大宮殿。黄金宮を意味する。64年に起こったローマ大火の後にローマ市中心部に建設された広大な宮殿で、このためネロは市民の大顰蹙を買うことになった。 16世紀には地下の洞窟「グロッタ」として知られており、その室内装飾はルネサンス美術にも大きな影響を与えた。
[編集] 概略
ドムス・アウレアは、西暦64年7月19日にキクルス・マクシムスから発生し、ローマ市のほとんどを焼き尽くしたローマ大火後にネロが建設した宮殿である。その広大な敷地は50haとも150haとも言われる。伝統を保持していたローマ市において、ローマン・コンクリートの造形を追求した革新的な建築物であったと評価できるが、96年にこの宮殿に住んだウィテリウスは、優雅でないと酷評している。
宮殿の設計は建築家セウェルスと、機械装置を考案したケレルによって行われた。庭園を中心に多くの建築物が複合した宮殿で、その入り口には大列柱廊と37mの高さのネロのブロンズ像(コロッスス)を構え、天井から花弁と香水が降り注ぐ食堂、天空の如く回転するドームなどがあったほか、ギリシアなどからもたらされた美術品が無数に置かれていた。しかし、ネロの死後、104年に宮殿は火災に遭い、その敷地は次々と公共建築用地に転用され、急速に消滅した。このため、宮殿は文献からその姿を想像することしかできず、全容についてはよく分からない。宮殿の跡に建設されたものとしては、庭園にあった池の跡にウェスパシアヌスが建設したアンフィテアトルム・フラウィウムや、その北側に造営されたトライアヌスの浴場などがある。
1480年代、あるいは1493年からオッピウス丘陵よりトンネルを掘って内部に侵入する試みが始まり、1490年代には、画家たちが地下歩廊から各部屋の装飾を見学するようになった。宮殿跡には、ここを訪れた多くの画家たちのサインが残っている。この宮殿跡は17世紀まで、一般にティトゥスの浴場と考えられていたが、ラファエロ・サンティなど、一部の芸術家は、これがネロの宮殿であることを知っていた。
[編集] 現在の遺構
ドムス・アウレアの一部で、現在まで比較的まとまった状態で残っているのは、トライアヌス浴場を建設する際に埋められた、東西220m、南北70m程度の部分だけである。16世紀に「グロッタ」と呼ばれていたこの遺構のフレスコ画は、人や動物、植物などが連続する奇妙な装飾であり、ラファエロがバチカン宮殿回廊の内装に取り入れた。これが「グロッタ grotto」で発見された古代美術」ということで、後にいわゆる「グロテスク」装飾と呼ばれるようになったものである。1506年には、付近の地中からラオコオン像が発見され、ミケランジェロに大きな感銘を与えた。
ドムス・アウレアは第二次世界大戦後の長期間をかけた修復工事のあと、1999年から一般に公開されるようになったが、大雨による被害があり2005年12月に再び閉鎖された