ドミトリー・コザク
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ドミトリー・ニコラエヴィッチ・コザク(Дмитрий Николаевич Козак、Dmitri Nikolayevich Kozak, 1958年11月7日 - )は、ロシアの政治家。
1958年11月7日ソビエト連邦ウクライナ・ソビエト社会主義共和国のキロヴォグラード州に生まれる。1976年兵役に就く。軍では空挺部隊に勤務する。1985年レニングラード大学法学部を卒業し、レニングラード検察局に入る。その後、市のコンツェルン「モノリト・キロフストロイ」で法務部主任。レニングラード港湾機関法務部主任などを経て、レニングラード市法律関係の諸機関に勤務する。1990年レニングラード市人民代議員大会執行委員会法務局副局長。1991年同局長となる。1994年9月サンクト・ペテルブルグ市法務委員会議長となる。この頃に同市の第一副市長だったウラジーミル・プーチンと出会い、プーチンの片腕として働くようになった。1998年から1999年まで、サンクト・ペテルブルグ副市長。
1999年ロシア連邦政府に移り、プーチン首相の下、8月政府官房次長(内閣官房副長官)、次いで官房長官(閣僚待遇)に相次いで就任する。2000年の大統領選挙では、プーチン選対に参加する。プーチンの事実上の政権構想となった「2010年までのロシア戦略発展計画」立案の作業班にも参加した。同年6月ロシア連邦大統領府副長官としてプーチン政権の中央集権化政策などの改革立案に関与。2003年10月大統領府第一副長官に就任する。プーチンが大統領に再選され、第二期政権として、ミハイル・カシヤノフ首相が解任され、ミハイル・フラトコフ内閣が成立すると、2004年3月官房長官に就任した。同年9月南部連邦管区大統領全権代表に就任。連邦政府に新設された北カフカス政策を担当する連邦特別委員会の委員長も兼務することになった。コザクの任命の背景には、武力のみならず、経済面でのチェチェンを含むカフカス問題の包括的解決を目指すものと観測された。また、ガスプロムの会長も務めている。2007年9月ヴィクトル・ズブコフ内閣の地域発展相。
コザクは、プーチン、ドミトリー・メドヴェージェフとは、レニングラード大学の先輩後輩にあたり、セルゲイ・イワノフ国防相、アレクサンドル・ジューコフ副首相などと共に有力なプーチンの後継候補と目されている。