トーシンブリザード
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トーシンブリザード | |
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現役期間: | {{{時}}} |
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品種: | サラブレッド |
性別: | 牡 |
毛色: | 黒鹿毛 |
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生誕: | 1998年5月15日 |
死没: | (現役種牡馬) |
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登録日: | {{{登}}} |
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父: | デュラブ |
母: | ユーワトップレディ |
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生国: | 日本(北海道浦河町) |
生産: | 村中一英 |
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馬主: | 稲垣博信・和泉栄一 |
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調教師: | 佐藤賢二(船橋) |
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競走成績 | |
生涯成績: | 30戦9勝(内中央3戦0勝) |
獲得賞金: | 4億1521万円 |
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[編集] 戦歴
2000年9月11日船橋競馬場でデビュー。快勝するが、当時は同じ世代にラムタラの産駒でデビューから2戦圧勝のロイヤルエンデバー(川崎競馬)がいたため決して目立つ存在ではなかった。しかし、2戦目の山茶花特別でロイヤルエンデバーと対戦しこれに勝利する。
3戦目に統一GIIの全日本3歳優駿へ出走したが7番人気という低評価であった。しかし、このレースでもロイヤルエンデバー、マイネルジャパン(函館3歳ステークス優勝馬)、ムガムチュウ(後のダービーグランプリ優勝馬)を下し優勝。実力が本物であることを証明する。
年が明けて3歳(この年から馬齢の表記が変更)となり、1番人気で南関東三冠の前哨戦京浜盃に出走。大井競馬場では圧倒的不利とも思われる位置取りから、直線で次元の違う末脚を見せロイヤルエンデバーをハナ差かわす。この時点で南関三冠確実との評価を得る。
その評判通り、危なげなく羽田盃、東京王冠賞、東京ダービーの南関東三冠レースを制覇。史上初の「無敗の南関東三冠馬」となる。この後、統一GIジャパンダートダービーをも単勝1.0倍の人気を集め勝利し、四冠馬となった。なお、東京王冠賞は2001年を持って廃止となったため、この路線の四冠馬はトーシンブリザードが最初で最後である。
- なお、ジャパンダートダービー制覇の際「東京の、真夏の夜に、ブリザード! トーシンブリザード圧勝!!」と実況された(実況担当は及川暁である)。
あまりの強さに「アグネスタキオンやジャングルポケットとどちらが強いのか」「ハイセイコーの再来」とまで言われ南関競馬ファンの期待を一身に背負ったトーシンブリザードであるが、ジャパンダートダービー数日後に骨折が判明する(骨折がなければ秋に中央競馬のセントライト記念に挑戦する予定だった)。
骨折休養後、半年のブランクを得て出走したレースは南関東最高峰のレース、統一GIの東京大賞典であった。長期休養明けのみならず、相手はジャパンカップダートで2着(1着はクロフネ)に入ったウイングアローや、フェブラリーステークスの優勝馬ノボトゥルーなどの中央勢、更にはトーホウエンペラーなどの強力な地方勢である。明らかにトーシンブリザードに不利なこのレースであったが、人気はウイングアローに次ぐ2番人気であった。いかに南関東ファンがこの馬に期待を寄せていたかがわかるというものであろう。その人気に応え、トーシンブリザードは3着と好走する。初の敗戦ではあったが、その実力が一流であることを証明した。
年が明け、4歳となったトーシンブリザードは中央の統一GIフェブラリーステークスに出走する。初めての中央参戦、更にはアグネスデジタル・トゥザヴィクトリーなどの強豪人気馬揃いという事もあり、4番人気であった。だが、ここでもトーシンブリザードはアグネスデジタルの2着に入り、中央競馬のファンにもその名を知らしめた。
この後、久々の地元船橋のレースとなる統一GIIダイオライト記念に出走したが、5着に敗れる。しかしこれは2400mという長距離が合わなかったと見て、ファンは気にしてはいかなかったようだ。事実、次走の1600m統一GIIかしわ記念で勝利、次にもうひとつの大井最高峰レース統一GI帝王賞に出走する。当然のように1番人気であったが、このレースでは8着と惨敗してしまう。その後骨折が判明、1年半の休養を経て復帰するも、蹄も悪くしており、すでにその能力は失われていた。勝てないレースが続くが、引退することなく7歳まで走り続ける。勝利を挙げることはできかったが、かしわ記念や浦和記念で好走しファンを喜ばせた。
2005年のJBCスプリントを最後に引退。引退レースに騎乗したのはデビュー当初に厩務員として調教を担当していた石崎駿であった。そして、11月23日に船橋競馬場にで引退式を行った。現在は種牡馬として新冠町の白馬スタリオンステーションにて繋用されている。
主戦騎手だった石崎隆之は「数多くの名馬に乗せてもらったが、これほど賢い馬はほかにいなかった」と語っている。
[編集] 血統表
トーシンブリザードの血統 (ノーザンダンサー系/Nasrullah5×4×5=12.50%、Nearco5×5=6.25%) | |||
父
*デュラブ Doulab 1982 栗毛 |
Topsider 1974 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Drumtop | Round Table | ||
Zonah | |||
Passerine 1977 栗毛 |
Dr.Fager | Rough'n Tumble | |
Aspidistra | |||
Pashamin | My Babu | ||
Tir an Oir | |||
母
ユーワトップレディ 1992 鹿毛 |
*ブレイヴェストローマン Bravest Roman 1972 鹿毛 |
Never Bend | Nasrullah |
Lalun | |||
Roman Song | Roman | ||
Quiz Song | |||
ヒミノトップレディ 1984 黒鹿毛 |
*テスコボーイ | Princely Gift | |
Suncourt | |||
ラッシーノニ | *ダラノーア | ||
マリシテン F-No.6-a |