トマーシュ・ウイファルシ
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トマーシュ・ウィファルシ | ||
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名前 | ||
愛称 | UFO | |
カタカナ | トマーシュ・ウィファルシ | |
ラテン文字 | Tomas UJFALUSI | |
基本情報 | ||
国籍 | チェコ | |
生年月日 | 1978年3月24日(30歳) | |
出身地 | リーマジョフ | |
身長 | 185cm | |
体重 | 76kg | |
選手情報 | ||
在籍チーム | アトレティコ・マドリード | |
ポジション | DF (CB,SB) | |
背番号 | 21 | |
利き足 | 右足 | |
代表歴 | ||
2001- | チェコ | 71 (2) 2008年6月15日現在 |
トマーシュ・ウイファルシ(Tomáš Ujfaluši、1978年3月24日 - )はチェコ、出身、アトレティコ・マドリード所属のサッカー選手。ポジションはディフェンダー。
センターバック、サイドバック、ボランチでプレーできるチェコ代表。ハンブルガーSVでレギュラーを取った頃からチェコ国内でも評価が上がった。一時期はHSVでキャプテンを務めていた事もある。ここ数年は長髪にヘアバンドという出で立ちである。
目次 |
[編集] プレースタイル
粘り強いマンマークとパスカットの巧さが持ち味。その守備技術の高さから、チェコ代表においてはセンターバックとしてプレーするが、元所属クラブのフィオレンティーナでは走力や足元の技術を活かし、右サイドバックでプレーした。
[編集] 経歴
2004-2005シーズンにフィオレンティーナに加入。センターバックとして活躍する。選手の入れ替わりが激しいこの時期のフィオレンティーナにおいて、セリエA復帰シーズン以来の主力である彼は既にダリオ・ダイネッリやマルティン・ヨルゲンセンと並んで古参の部類であり、キャプテンマークを巻くこともあった。
2005-2006シーズンにチェーザレ・プランデッリ監督が就任すると、同監督はウィファルシの走力や足元の優れた技術に目を付け右サイドバックにコンバートさせる。代表とクラブではセンターバックとサイドバックというそれぞれ異なるポジションでプレーするが不動のレギュラーであった。
2006-2007シーズンはディフェンスラインの要として、シーズン最小失点に貢献する。2007-2008シーズンもチャンピオンズリーグ出場権獲得に大いに貢献したが、ブンデスリーガ、セリエAに続いてリーガ・エスパニョーラも経験してみたいとの理由で[1]アトレティコ・マドリード移籍を決断。移籍の際には、「自分がイタリアでプレーするならば今後もフィオレンティーナ以外考えられない」とのコメントを残した[2]。
[編集] 備考
- 背番号の21番という番号には本人の拘りがあり、代表やクラブでも自ら進んでこの番号を選んでいる。
- イタリアの地元ではその風貌やプレースタイルから女性のサポーターからも高い人気を得ている。
[編集] 所属クラブ
- シグマ・オロモウツ 1997-2000
- ハンブルガーSV 2001-2004
- フィオレンティーナ 2004-2008
- アトレティコ・マドリード 2008-
アトレティコ・マドリード - 現所属メンバー |
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1 ファルコン | 2 セイタリディス | 3 アントニオ・ロペス | 4 ペルニア | 5 モッタ | 6 クレーベル・サンタナ | 7 フォルラン | 8 ラウール・ガルシア | 9 ルイス・ガルシア | 10 アグエロ | 11 マキシ・ロドリゲス | 12 ファビアーノ・エレル | 13 アッビアーティ | 14 ゼ・カストロ | 15 フラド | 17 レジェス | 19 ミゲル | 20 ミスタ | 21 ペレア | 22 パブロ | 23 バレーラ | 24 シモン | 25 レオ・フランコ 監督: アギーレ |
チェコ代表 - 2006 FIFAワールドカップ | |
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1 チェフ | 2 グリゲラ | 3 マレシュ | 4 ガラーセク | 5 コヴァーチ | 6 ヤンクロフスキ | 7 シオンコ | 8 ポボルスキー | 9 コレル | 10 ロシツキー | 11 ネドベド | 12 ロクヴェンツ | 13 イラーネク | 14 ヤロリーム | 15 バロシュ | 16 ブラジェク | 17 シュタイネル | 18 ハインツ | 19 ポラーク | 20 プラシル | 21 ウイファルシ | 22 ロゼフナル | 23 キンスキー | 監督 ブリュックナー |
[編集] 注
この項目は、ウィキプロジェクト サッカー選手の「テンプレート」を使用しています。