トニー・ミッチェル
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トニー・ミッチェル(Tony Mitchell、1970年10月14日 -) は、アメリカ合衆国出身のプロ野球選手。日本では2001年に福岡ダイエーホークスに所属した。ポジションは外野手(日本では指名打者)。190cm105kg(ダイエー在籍時)。右投げ両打ち(ただしダイエー時代は右打ちに専念した)。
1995年に同じダイエーに在籍したケビン・ミッチェルは従兄弟にあたる。
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[編集] 経歴
1989年にピッツバーグ・パイレーツに入団したがメジャー経験はなく、1997年からは独立リーグでプレー。2000年にはドゥルースで打率.352、26本塁打、87打点の成績を挙げたことを評価され、ダイエー入団。年俸は1500万円で、格安外国人として話題となった。
実際の打撃は前年までダイエーに所属したメルビン・ニエベス以上に引っ張り専門で、当たれば本塁打に出来るパワーはあるのだが当たればの話。結局打率が2割にも満たず、シーズン後半は2軍生活を送り、シーズン終了後に解雇された。
[編集] 日本での通算成績
- 65試合 181打数35安打 打率.193 本塁打10 打点20
[編集] 背番号
- 42(2001年)
[編集] エピソード
- トニーの代理人はかつてダイエーにも在籍したブーマー・ウェルズであった。
- トニーとケビンが従兄弟同士ということを、球団側は本人の口から語られるまで知らなかったという。
- ケビンがメジャーリーグでも屈指の問題児で、ダイエー在籍時もシーズン途中の無断帰国など様々なトラブルを起こしただけに、トニーの素行にも注目が集まったが、トニーは球団と揉めるようなことはなかった。ただし気性は荒く、4月26日の日本ハムファイターズ戦(東京ドーム)で高橋憲幸の死球に激怒、金子誠の頬に右フックを見舞わせる等の大立ち回りを演じ、退場処分を受けた。この時、ヘルメットの下にかぶっていた水泳帽が話題になった。
- 格安外国人選手として話題となり、テレビ東京系列で放送された「火の玉スポーツ列伝」では『ミッチェルの日記』なるコーナーを担当。ややトボけたキャラクターで人気となった。