トスタン
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トスタン | ||
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名前 | ||
本名 | エドアルド・ゴンサウベス・ジ・アンドラーデ | |
愛称 | トスタン | |
カタカナ | トスタン | |
ラテン文字 | Eduardo Gonçalves de Andrade | |
基本情報 | ||
国籍 | ブラジル | |
生年月日 | 1947年1月25日 | |
出身地 | ミナスジェライス州、ベロオリゾンテ | |
身長 | 172cm
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選手情報 | ||
ポジション | FW | |
利き足 | 右利き
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代表歴 | ||
出場 | 65 | |
得点 | 36 | |
トスタン(Tostão, 1947年1月25日 - )こと、エドアルド・ゴンサウベス・ジ・アンドラーデ(Eduardo Gonçalves de Andrade)は、ブラジルの元サッカー選手。ポジションはフォワード。
ペレなどとともに、ニックネームで呼ばれるようになった最初のブラジル人サッカー選手の1人。「Tostão」は「小さな硬貨」を意味する。
クルゼイロECで点取り屋として活躍し、ブラジル代表にも選出。1966年に出場したイングランド大会では結果は予選リーグ敗退だったものの、ペレとのコンビでその素質を魅せつけ、「白いペレ」と呼ばれるようになった。
1969年、国内リーグでの対コリンチャンス戦において顔面にボールが直撃し、網膜剥離を起こすアクシデントに見舞われた。視力の低下によりプレーに支障が出始めたものの、1970年のW杯メキシコ大会に再び代表メンバーとして出場し、ペレ・リベリーノ・ジェルソン・C.アウベルトといった仲間に恵まれたこともあって、見事栄冠を勝ち得た。
1973年、再び眼を負傷する不運に遭い、26歳の若さで現役を引退した。トスタンを失ったあとのブラジルはしばらく世界の舞台で良い成績を挙げられなかったこともあり、もしトスタンが怪我しなければ・・・とその早すぎる幕引きを惜しむ声も多かったという。
9シーズンの間所属したクルゼイロでは全378試合に出場し249得点。6度の州選手権優勝(うち5連覇を含む)、個人では3度のシーズン得点王に輝いており、名実共にクルゼイロの英雄としてクラブの歴史に名を刻んでいる。
引退後はしばらくサッカーから離れ、内科医として第2の人生を歩んでいたが、近年はジャーナリスト・解説者として度々各メディアに顔を出している。
[編集] 所属クラブ
- クルゼイロEC(ブラジル) 1961
- アメリカ・ミネイロ(イタリア) 1962-1963
- クルゼイロEC(ブラジル) 1963-1972
- CRヴァスコ・ダ・ガマ(ブラジル) 1972-1973
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ブラジル代表 - 1970 FIFAワールドカップ 優勝メンバー (3度目) | |
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1 フェリックス | 2 ブリト | 3 ピアッザ | 4 カルロス・アウベルト | 5 クロドアウド | 6 マルコ・アントニオ | 7 ジャイルジーニョ | 8 ジェルソン | 9 トスタン | 10 ペレ | 11 リベリーノ | 12 アドゥ | 13 ロベルト・ミランダ | 14 バウドッチ | 15 フォンタナ | 16 エヴェラウド | 17 ジョエウ | 18 パウロ・セザル | 19 エドゥ | 20 ダリオ | 21 ゼ・マリア | 22 レオン | 監督 ザガロ |