チームオーダー
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チームオーダーとはモータースポーツのレースにおいて、チームが所属ドライバーへ指示を出すことによって故意に所属ドライバー間の順位を入れかえたり、保持しようとすること。
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[編集] 概要
例えば、同一チームに 「シーズン順位が上位でチャンピオンの可能性があるドライバー A」 「シーズン順位がAより下位でチャンピオンの可能性がないドライバー B」 の2名が所属している場合に
- A の直前を B が走行している場合に A が B を「追い抜ける」ように
- A の後方を走る B のペースが A を上回っている場合に B が A を「追い抜かない」ように
といった指示を出すことによって A がドライバー部門のポイントを獲得しやすくする。この指示をチームオーダーと呼ぶ。単に第2ドライバーが第1ドライバーの前を走行している場合にもこういった指示が出される場合もある。主にシリーズ戦形式のカテゴリにおいて、ドライバー部門チャンピオンをチームドライバーに獲得させる事が目的である。
こうした行為が卑怯な手段なのか、チームの利益を第一に考えたチームプレイなのかは議論が分かれる。
上記のような例の他に、主にラリーなどで意図的にペナルティを受けスタート間隔などをコントロールするためにチームオーダーが発せられる場合や、レース途中でマシンにトラブルが発生した場合の予備車(スペアカー)の優先利用権をチームオーダーとして定める場合もある。
[編集] 評価
同一チームから複数のドライバーが出走するカテゴリーでは、チームとしての利益を損なわない範囲内で作戦の一つとして当然のように行われてきた。かつてはレース前に両ドライバーとチームで取り決めをしたり、サインボードでの指示で行うなど当事者のみに分かるような形で行われることが多かったが、近年では無線を使用するようになり、その内容が公開されたりすることで指示の内容がファンにも伝わりやすくなった。結果、正当なバトルをせずに順位を入れかえる本行為は卑怯であるとしてファンからは不満の声が聞かれるようになった。
このためF1では2003年からF1レギュレーションで本行為を禁止し、無線の交信内容もチェックするようになった。しかし全く関係ない言葉を暗号にしてチームオーダーが発令されているという指摘もある。また入れ替える手段も巧妙化しており、「偶然を装ったコースアウト」「トラブルを装ったピットイン」などの存在が囁かれている。
[編集] 主な事例
- 以下はF1での事例。
- 1958年のモロッコGP
- この年、ヴァンウォールが最終的にはシリーズ11戦中6勝を挙げる強さを見せ付けた。しかし勝利が分散された結果、モロッコGP直前のドライバーズランキングはマイク・ホーソンにリードされており、ヴァンウォールのエースドライバーであるスターリング・モスがチャンピオンとなるためには優勝とファステストラップの両方を獲った上で、ホーソンが3着以下に沈むと言う過酷な条件があった。モスはこの条件の内、優勝の8ポイントとファステストラップの1ポイントの獲得に成功している。しかしホーソンが3番手に盛り返した瞬間、フェラーリがチームオーダーを発令。2番手に付けていたフィル・ヒルがホーソンに2位を譲ったことにより、ホーソンが1ポイント差で逃げ切り、チャンピオンを獲得した。この時の行為に関してだが、レース後に「もし譲らなかったら、たとえ優勝してても即刻フェラーリをクビになっていただろう」とフィル・ヒルは語っている。
- 1964年のメキシコGP
- この年のチャンピオン争いは、BRMのグラハム・ヒル、フェラーリのジョン・サーティース、ロータスのジム・クラークの三つ巴となっていた。レースはチャンピオンになる為には優勝しかないクラークの大逃げで始まった。ライバルのサーティースは信頼性優先のマシンを選んだが故に、チームメイトのロレンツォ・バンディーニに遅れを取り、もう一方のライバルであるグラハム・ヒルは、バンディーニとの接触が響き後方で喘ぐ展開となった。このままレースが終了すればクラークの逆転チャンピオンとなる筈であったが、悲運にもファイナルラップ直前にマシントラブルが発生、ゴール寸前でストップしてしまう。この事態を知ったフェラーリは急いでチームオーダーを発動。これがギリギリで間に合い、2番手につけていたバンディーニがサーティースに2位の座を譲った結果、サーティースが僅か1ポイント差でチャンピオンを獲得した。
- 1982年のサンマリノGP
- FOCA系チームの大量欠場もあり、地元フェラーリ勢が1位ジル・ヴィルヌーヴ、2位ディディエ・ピローニの順で1-2走行を続けていた。コンストラクターズポイントに影響がないことから、チームは無用なバトルを避けて順位を保持するように指示。ところがピローニがこれを無視してヴィルヌーヴを追い抜き、最終的に優勝してしまう。これにより両ドライバーの確執は頂点に達し、次戦ベルギーGPでの悲劇の遠因となってしまう。
- 1991年の日本GP
- このレースではマクラーレンのエースドライバーであるアイルトン・セナのドライバーズチャンピオンがかかっていたが、それはレース序盤にウィリアムズのナイジェル・マンセルがリタイアしたことにより決定していた。この時チーム戦略により2位を走行していたセナが、トラブルが発生していたベルガーを追い抜きトップに立ったが、チーム内で事前にセナのチャンピオンを決定させるべくオープニングラップの1コーナを制したドライバーを優勝させるという取り決めをしていた。そのため、チームオーナーのロン・デニスは何度もセナにポジションを譲るように指示を出したが、セナはこれを無視し続けファイナルラップまでトップを走る。しかし最終的にはフィニッシュ直前にスローダウン、チームメイトのゲルハルト・ベルガーにトップを譲った。この時セナは「真の勝者は誰なのか」を誇示する意味であからさまな譲り方をしたと言われている。
- 1998年のオーストラリアGP
- レース中盤に無線トラブルにより余分なピットインをしたことにより2位走行していたマクラーレンのミカ・ハッキネンが、ホームストレート上でチームメイトのデビッド・クルサードからトップを譲られた。このレースではマクラーレンが圧倒的な戦闘力で他チームのマシンを全て周回遅れで下すレースであったが、チームメイト同士でオープニングラップでの順位をレース結果で維持するようにレース前に取り決めていたという。しかし開幕戦であったことから批判の声が多くあがり、チームオーダーについての議論を喚起するきっかけとなった。
- 2002年のオーストリアGP
- ファイナルラップまでトップを走行していたフェラーリのルーベンス・バリチェロがフィニッシュ直前で同チームのファーストドライバーであるミハエル・シューマッハにトップを譲った。これがあまりにもあからさまであったこと、タイトルを決定する時期ではなかったこと、かつ当時のフェラーリとシューマッハの競争力の高さから多くの批判が寄せられた結果、2003年以降のレギュレーションにおいてチームオーダーが禁止されることとなった。