ダルマストーブ
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ダルマストーブとは明治から昭和中期にかけての日本で使用された鋳鉄製の暖房器具である。北海道では、駅の待合室や学校の教室に置かれた大型のストーブ(寸胴形。また、その直径が1尺5寸あることから「尺五」とも呼ぶ)も「ダルマストーブ」と呼んだりする。
家庭用のものでは薪が、列車内で用いられたものには石炭が燃料として多く用いられた。
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[編集] 列車におけるダルマストーブ
明治13年(1880年)の札幌~手宮間の幌内鉄道開通時から客車の暖房には石炭ストーブが使用されたが、明治33年(1900年)頃からは寸胴形が普及してきた。「ダルマストーブ」は大正期に北海道内地方線区で使用されていた丸形ストーブを大正11年(1922年)に灰取り用の引き出しを大きくしたうえ、底を平らにして使用したもので、以来これは北海道内各線区に急速に普及した。
これは外形が300mmの球形で下に火格子と灰取りの引き出し、正面に焚き口、背面に排煙口、上部は乗客が何も載せない(スルメを焼くなどの行為を防ぐ)ように球状のままで下に脚があった。その形状から「たこストーブ」「地球形ストーブ」「ほおずきストーブ」とも呼ばれた。2軸客車には車内に1個、ボギー客車では車内前後に2個ずつとその部分の座席(4人分)を外し設置された。石炭の補給は「十能」と「デレッキ」を持った車掌が行い乗客は直接、手を触れないようになっていた。
この球形の「ダルマストーブ」は列車の客貨分離による客車のスチーム暖房の普及、旅客列車の気動車化等により旧国鉄の定期列車では昭和47年(1972年)3月の石北線を最後に、また不定期列車では昭和49年(1974年)3月の深名線の臨時混合列車を最後に姿を消した。最後まで使用されたのは夕張市の三菱大夕張鉄道で昭和51年(1976年)の春に姿を消した。同線ではその後、廃線まで「フジキ式」と呼ばれる石炭ストーブが客車暖房に活躍した。尚、昭和59年(1984年)2月まで走っていた釧網本線の混合列車に連結されていた郵便荷物車には末期までダルマストーブが付いていた。牽引機が蒸気暖房を搭載してない番台のDE10であり、機関車と客車の間に貨車が連結される場合が多かったことによる。その時、同列車に組成されていた旅客車には軽油燃焼式の温気暖房装置が装備されていた。近年はJR北海道の「流氷ノロッコ号」「冬の湿原号」に復活し観光客に喜ばれている。車内ではスルメ等の乾物も販売され、それらをストーブの上で焼いて食べる事が出来る。
JR線以外では津軽鉄道で冬場(毎年11月中旬から翌年3月まで)にストーブ列車が運行されている。観光目的に乗車する人が多いといわれ、ストーブの上では酒のつまみ用のスルメや餅・干物を焼いて食べる。時には焼肉まで焼く人がいるらしい。また、軍手を持参する強者もいるという。
[編集] 家庭内でのダルマストーブ
北海道では球形の「ダルマストーブ」を一般家庭でも使用する事があったが、一般的には胴長の鋳物ストーブを総称してダルマストーブとして呼んでいた。燃料は主に石炭、コークス、その他の木材などで、一般家庭の他、公共施設、学校などで冬季の暖房に使われていた。