ダイシンボルガード
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ダイシンボルガード | |
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品種: | サラブレッド |
性別: | 牡 |
毛色: | 栗毛 |
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生誕: | 1966年3月4日 |
死没: | 1986年 |
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父: | イーグル |
母: | ワカザクラ |
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生国: | 日本(北海道浦河町) |
生産: | 秋場亀 |
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馬主: | 高橋金次 |
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調教師: | 柴田寛(東京) |
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競走成績 | |
生涯成績: | 24戦7勝 |
獲得賞金: | 7602万5900円 |
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ダイシンボルガードは日本の競走馬。第36代東京優駿(日本ダービー)優勝馬である。
東京優駿後はダイヤモンドステークスの1勝しかできなかったが、有馬記念3着2回、天皇賞(秋)3着などの成績を収めている。
[編集] 第36回東京優駿
ダイシンボルガードが勝った東京優駿は以下のエピソードで有名である。
第36回東京優駿は不良馬場の中28頭立てで行われた。皐月賞優勝馬ワイルドモアが骨折により回避したため混戦模様となり、1番人気はきさらぎ賞等に勝ち12戦して3着以下が1度のみという安定感のあるタカツバキ、2番人気は皐月賞2着馬ギャロップ、3番人気は朝日杯3歳ステークス優勝馬ミノル、ダイシンボルガードは6番人気であった。
このレースは色々な珍事が重なった。レースが始まると1コーナーでいきなり1番人気タカツバキの嶋田功騎手が落馬する。直線に入ると今度はダイシンボルガードの担当厩務員石田健一が係員の制止を振り切り芝コースに乱入、『俺の馬だーっ!』と絶叫しながら旗を振る騒ぎが起こった(同馬と旗振る厩務員がコース上で一緒に写っている写真は有名である)。
直線ではハクエイホウをダイシンボルガードとミノルが追い、激しい叩き合いが演じられており、このまま決まっていれば名勝負となったとも言えるが、この事件により迷勝負に。結果は石田健一の応援が効いたのかダイシンボルガードがミノルにクビ差で勝利している。石田厩務員はレース後に当然の如く厳重注意処分(実際には戒告であった)を受け、この件は公式記録の制裁欄にも記載されていた。また騎乗騎手の大崎昭一もレース後に競馬ファンの手により胴上げされた(レース後の胴上げは大崎が初ではないかと言われている)。
鞍上を務めた大崎はこの時24歳で、当時としては戦後最年少のダービージョッキーとなった(現在は1971年にヒカルイマイで東京優駿を制した田島良保騎手の23歳に次ぐ記録)。
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