セルデューク
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セルデューク(ウクライナ語:Сердюкセルヂューク;英語:Serdukセルデューク;ポーランド語:Serdjukセールデュク、セールディユク;ロシア語:Сердюкスィルヂューク)は、ウクライナ・コサックの首長であるヘーチマンの歩兵親衛隊、また、その親衛隊の構成員のことである。17世紀後半から1726年まで存在していた。セルヂューク、セルジューク、セルジュクなどとも書かれる。厳密には、部隊名を示すときには複数形でセルデュークィ(Сердюкиセルヂュークィ)となる。
[編集] 概要
セルデュークは、非ウクライナ人によって構成された軍事組織であった。その構成員は、主としてセルビア人あるいはモルダヴィア人の傭兵であった。ヘーチマンは自軍における叛乱を防止するために、故意にウクライナ人を親衛隊に入れなかったのである。当時、ウクライナ・コサックでは、親ポーランド派、親モスクワ(ロシア)派、独立派という3つの派閥の間に対立が相次いでおり、ヘーチマンは非常に弱い立場にあった。そのため、派閥の権益とその軍事力に依存せずにヘーチマンの権威を保てるよう、ヘーチマンは非ウクライナ人からなる親衛隊をつくったのである。
セルデュークの親衛隊は3ないし4つの部隊から構成され、各部隊はそれぞれ400から500人でなっていた。その部隊の任務は国境の警備・国内の治安、ヘーチマンの本陣の護衛などであった。
セルデュークが最初に組織されたのはヘーチマン・ペトロー・ドロシェーンコの時代で、その後各ヘーチマンに受け継がれた。しかし、ヘーチマン国家に及ぶロシア帝国の影響力が増大すると、セルデュークの立場は急速に悪化した。1726年7月14日には、ツァーリの命によりセルデュークは廃止された。
1918年4月29日に成立したウクライナ国では、セルデュークの名を持つヘーチマン部隊が組織された。これも、12月の国家滅亡で消滅した。
[編集] 参考文献
- (ウクライナ語) Олексій Сокирко. Лицарі другого сорту. Наймане військо Лівобережної Гетьманщини 1669 - 1726 рр. (オレクシイ・ソクィルコ『第二級の騎士たち。1669年-1726年の左岸ウクライナにおける傭兵』), Київ: Темпора, 2006