スポーツマンシップ
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スポーツマンシップ (Sportsmanship) とは、スポーツで関係者らに求められる精神論の一種。競技の上では競争関係にあるもの同士でも、競技を離れた際には友好関係を築くべきとするものなどが良く知られている。
[編集] 概要
スポーツマンシップは、スポーツのルールを遵守してゲーム(競技)を行っていくうえでの根本的な姿勢をいうものである。広義では、スポーツを行う上での品性ないしマナーということができるかもしれない。これらは、スポーツを実際に行う選手に限らず、選手を指導するコーチや監督、またスポーツに応援という形で間接的に関係するファンをも含めて求められる傾向がある。一種の美学としてもみなされる。
スポーツマンシップは、スポーツをすること自体を楽しみとし、公正なプレーを尊重し、相手の選手に対する尊敬や賞賛、同じスポーツを競技する仲間としての意識をもって行われる活動であるという姿勢となって表される。また様式化された礼節の発揮も、マナーという面から重視される傾向があり、選手同士が試合の前や後に挨拶を交わすのも、このスポーツマンシップの延長で見られる風習である。
『Oxford English Dictionary』によれば、“sportsmanship”の初出は、フィールディングの小説作品『トム・ジョーンズ』(1749年)で、主人公のトムが5本の柵を飛び越える乗馬技術を指して用いられており、これが19世紀末から20世紀初期にかけて倫理的ニュアンスを含むようになった。
[編集] 理想と現実
理想論からいえば、スポーツマンシップはスポーツに携わる者全てが遵守することを求められる理念である。だが現実には、スポーツに取り組む動機が、何はさておいても勝負の勝ち負けにこだわったり、後援してくれる企業の営利(広告の効果に対する契約的な問題)であったりと、かなり不純なものも入り混じって、本来の目的が見えにくくなってきていることもしばしばである。
たとえば、ヨットの初心者に対しては、競争用の小型ヨットレース (dinghy racing) は、セーリング技術を磨くのにはぴったりだといわれる。しかし、その技術は競技に勝つための・レースの展開や戦略のためのものであり、これを磨くことは勝ち負けに直結した、いうなれば他者の自尊心を挫くための努力であり、負けた側は己の至らなさなどに不愉快になる。こういった問題は、スキーやサッカーなどその他のスポーツにも、大なり小なり当てはまると言えよう。
しばしば、「競技に勝たなくては」という重圧や各々の成績、あるいは新しいテクニックを身につけることは、そのスポーツ本来が持つ「楽しさ」や「健全性」を損なっているともみなされる。ただ「プロスポーツ」のような職業としてのスポーツの場合は、単に娯楽の延長として楽しまれるスポーツとは異なり、成績如何では選手の生活全般にも影響する。スポーツマンシップとプロスポーツの間の相克は、さらにプロスポーツの記事を見て欲しい。