出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ストックホルムオリンピック(Games of the V Olympiad Stockholm 1912)は、1912年5月5日から7月27日まで、スウェーデンのストックホルムで行われた夏季オリンピックである。
[編集] ハイライト
- この大会で初めて日本がオリンピックに参加した。短距離の三島弥彦とマラソンの金栗四三の2名が出場したが、三島は400メートルの準決勝で棄権、金栗は一万メートル走を棄権してマラソンに出場、54年8ヶ月6日5時間32分20秒3で世界一遅いマラソン記録を残している(経緯は後述)。
[編集] 実施競技
|
|
- セーリング
- 自転車
- 馬術
- フェンシング
- 射撃
- 近代五種競技
- 綱引
- 野球
- 芸術
|
[編集] 各国の獲得メダル
詳細はストックホルムオリンピックでの国・地域別メダル受賞数一覧を参照
順位 |
国・地域 |
金 |
銀 |
銅 |
計 |
1 |
アメリカ合衆国 |
25 |
19 |
19 |
63 |
2 |
スウェーデン(開催国) |
24 |
24 |
17 |
65 |
3 |
イギリス |
10 |
15 |
16 |
41 |
4 |
フィンランド |
9 |
8 |
9 |
26 |
5 |
フランス |
7 |
4 |
3 |
14 |
6 |
ドイツ |
5 |
13 |
7 |
25 |
7 |
南アフリカ連邦 |
4 |
2 |
0 |
6 |
8 |
ノルウェー |
4 |
1 |
4 |
9 |
9 |
カナダ |
3 |
2 |
3 |
8 |
ハンガリー |
3 |
2 |
3 |
8 |
[編集] 主なメダリスト
- 金メダル
- ※但し、ジム・ソープは優勝後に野球のマイナーリーグチームに所属していたことが発覚したため金メダルは剥奪され、復権されないまま1953年に死去、1983年IOCにより復権した。
- 銀メダル
- フィンランド(陸上競技男子クロスカントリー団体)
- パトリック・マクドナルド(アメリカ、陸上競技男子砲丸投(両手))
- アメリカ(競泳男子4×200mリレー)
- 銅メダル
- オスカー・スワン(スウェーデン、射撃男子ランニングディア・ダブルショット)
[編集] エピソード
- 1912年8月11日、吉沢商会(後の日活)が浅草電気館で『オリンピック大競技会第一報』を封切り。日本初の「オリンピック」公開映像。
- 1967年、ストックホルムオリンピック開催55周年を記念する式典が開催されたが、開催に当たって当時の記録を調べていたスウェーデンのオリンピック委員会が、陸上競技の男子マラソンにおいて金栗四三が「競技中に失踪し行方不明」となっていることに気付いた。このため、オリンピック委員会は金栗を記念式典でゴールさせることにし、金栗を式典に招待した。招待を受けた金栗はストックホルムへ赴き、競技場内に用意されたゴールテープを切った。ゴールの瞬間、場内には「只今のタイムは55年間、これで第5回ストックホルム大会は総ての競技を終了しました」とのアナウンスが響いた。金栗はゴール後のスピーチで「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」とコメントしている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク