スクラムダイナ
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スクラムダイナ | |
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現役期間: | {{{時}}} |
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品種: | サラブレッド |
性別: | 牡 |
毛色: | 鹿毛 |
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生誕: | 1982年3月21日 |
死没: | 不明 |
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登録日: | {{{登}}} |
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父: | ディクタス |
母: | シャダイギャラント |
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生国: | 日本(北海道白老町) |
生産: | 社台ファーム白老 |
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馬主: | (有)社台レースホース |
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調教師: | 矢野進(美浦) |
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競走成績 | |
生涯成績: | 6戦3勝 |
獲得賞金: | 9914万3300円 |
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スクラムダイナは、日本で生産・調教された元競走馬・元種牡馬である。第36回朝日杯3歳ステークスの優勝馬。 1984年の最優秀3歳牡馬。
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[編集] 戦績
[編集] 3歳時
社台グループの期待を受け矢野進厩舎に入厩したスクラムダイナは、秋の東京でデビュー。岡部幸雄を背に後続に10馬身差をつける圧勝であった。続く白菊賞(400下戦)では前走の圧勝にもかかわらず3番人気にとどまったものの、その評価を裏切るかのように勝利し、2戦2勝で東の3歳王者決定戦を目指す事になった。
そして迎えた東の3歳王者決定戦朝日杯3歳ステークス。連勝にもかかわらず内容を大きく評価されず4番人気にとどまった。 レースでは、道中は内につつまれる窮屈な競馬になったものの、前走からコンビを組む柴田政人の好判断もあり、最終コーナーでは大外に持ち出しワンテンポ遅らせての仕掛けが功を奏したか、鋭い伸びで先を行く人気馬を捕らえ、後続の追い込みを凌ぎきり快勝。3戦3勝、無敗で東の3歳王者となった。また、同じく3連勝で阪神3歳ステークスを制したダイゴトツゲキを抑え最優秀3歳牡馬に選出され名実ともに無敗の3歳王者に輝いた。
[編集] 4歳時
無敗の3歳王者となり、社台グループ総帥吉田善哉の悲願でもあるダービー制覇の期待を一身に背負い、春のクラシックに向かう緒戦に選ばれたスプリングステークス。例年は有力馬は弥生賞から始動する事が多かったが、この年はスクラムダイナだけでなく、西の3歳王者ダイゴトツゲキやシンザン最後の傑作ミホシンザン、デビュー戦で弥生賞を勝ったスダホークに快勝し2勝馬ながらもその逃げっぷりが注目されるサザンフィーバー、パーソロン産駒で京成杯勝馬のサクラサニーオー、3戦3勝のブラックスキーとクラシックで有力と目される馬が勢揃いしていた。 レースに向かうにあたり、問題がひとつ発生した。主戦であった柴田政人はスクラムダイナ以外にミホシンザン、サザンフィーバーの主戦も務めており、騎乗馬選択という意味でも注目を集めた。 最後まで迷った柴田だったが選択したのはミホシンザン。スクラムダイナにはデビュー戦で手綱を握った岡部幸雄の騎乗が決定した。なお、サザンフィーバーの手綱は増沢末夫が握る事となった。
そして迎えたレース当日。無敗の3歳王者にもかかわらず、柴田の選択も影響したのかミホシンザンに大きく離された2番人気にとどまった。レースは新コンビの増沢騎手を背に快調に逃げるサザンフィーバーのペースとなり、後方を進む人気馬を尻目に逃げ切りかと思われた残り200~300メートルでまさかの落馬競走中止。3コーナーで置いていかれかけ、直線は内をついたスクラムダイナにもサザンフィーバーの落馬は少なからず影響し、何とか立て直し一時は先頭に立ったものの、落馬の影響のない後方に位置し鋭い末脚で大外から伸びてきたミホシンザンに交わされ2着。初めての敗北となった。(なお、落馬したサザンフィーバーは直線で転倒。予後不良となった。転倒してなければあるいは・・・というレース内容であった)
迎えた皐月賞。ミホシンザンが人気の中、スクラムダイナは弥生賞1、2着の2頭(スダホーク、サクラサニーオー)の後塵を拝し4番人気。レースでは、気性的なこともあり馬群で我慢しながら直線で大外に持ち出しての瞬発力勝負に賭けたが、コーナーでやはり後方に置かれてしまい態勢を立て直す間に、好位からミホシンザンが抜け出し快勝。スクラムダイナも鋭い末脚で追い込んできたもののミホシンザンとの差は詰められず5馬身差の2着に終わった。
3冠確実と目されたミホシンザンが故障で不在となり迎えた東京優駿。ファンが本命に支持したのは皐月賞不出走のシリウスシンボリ。皐月賞2着のスクラムダイナは、皐月賞で先着したはずのスダホーク、サクラサニーオーにまたも後塵を拝し4番人気。レースはそれまでの長雨で最悪な状態となり、重巧者のスダホークがまず抜け出しシリウスシンボリがそれに続いた。スクラムダイナは外を回りながらもコーナーで置かれ、大外勝負という、いつもの如く不器用な競馬になってしまい、シリウスシンボリが直線抜け出した頃に鋭い末脚で伸びてきたもののスダホークに並んでから競り落とせず、写真判定の末に3着。 さらにレース後、右第3中手骨の骨折が判明。ボルト埋め込み手術によって生命は助かったものの、復帰は叶わず現役を引退した。 無敗の3歳王者、皐月賞2着、ダービー3着と輝かしい実績を残すものの馬券人気が示すとおり、ある種の影の薄さがつきまとった馬であった。
[編集] 引退後
引退後は、社台スタリオンステーション荻伏にて種牡馬入りするものの、活躍馬を全くといっていいほど出せず1992年に種牡馬登録を抹消された。 その後の消息は不明である。
[編集] 血統表
スクラムダイナの血統 (ファイントップ系(タッチストン系)/Mahmoud5×5=6.25%、Bull Dog5×5=6.25%) | |||
父
*ディクタス Dictus 1967 栗毛 |
Sanctus 1960 鹿毛 |
Fine Top | Fine Art |
Toupie | |||
Sanelta | Tourment | ||
Saranella | |||
Doronic 1960 鹿毛 |
Worden | Wild Risk | |
Sans Tares | |||
Dulzetta | Bozzetto | ||
Dulcimer | |||
母
シャダイギャラント 1974 鹿毛 |
*ボールドアンドエイブル Bold and Able 1968 栗毛 |
*ボールドラッド Bold Lad |
Bold Ruler |
Misty Morn | |||
Real Delight | Bull Lea | ||
Blue Delight | |||
*ギャラントノラリーン Gallant Noralien 1963 黒鹿毛 |
Gallant Man | Migoli | |
Majideh | |||
Noralien | Polynesian | ||
Nipmenow F-No.1-l |
[編集] 外部リンク
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