ジョージ・ウォレス
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ジョージ・コーレイ・ウォレス (George Corley Wallace、1919年8月25日 - 1998年9月13日)は、アメリカ合衆国の政治家。アラバマ州知事を4度務め、1968年アメリカ合衆国大統領選挙にアメリカ独立党の候補として立候補した。
アラバマ州出身で、1962年に民主党からアラバマ州知事に当選した。このときウォレスが掲げたスローガンは「今ここで人種隔離を!明日も人種隔離を!永遠に人種隔離を!」というものであった。1964年、民主党の大統領候補者指名争いに参戦したが敗退。1968年、当時前アラバマ州知事となっていたウォレスは、ジョン・F・ケネディ・リンドン・ジョンソンの二代にわたる民主党政権が推進してきた人種隔離廃止政策に反対し公民権運動に不快感を持つ南部白人層の代表として、アメリカ独立党から大統領選挙に出馬した。この党は1948年アメリカ合衆国大統領選挙にストロム・サーモンドを擁立した州権民主党の流れをくむもので、人種隔離政策の継続と公民権問題に関する連邦政府の介入排除を訴えていた。なお、サーモンドはこの時には既に転向しており、ウォレスに批判的な態度を取った。
副大統領候補には第二次世界大戦で日本本土無差別爆撃を指導した元空軍参謀総長のカーチス・ルメイが据えられ、ベトナム戦争での強硬政策を主張した。選挙の結果、アラバマ州、アーカンソー州、ジョージア州、ミシシッピ州、ルイジアナ州でトップを取り、46人の選挙人を獲得した。なお得票数の上では2位になった民主党候補のヒューバート・ハンフリーの票とウォレスの票を合算すると当選した共和党のリチャード・ニクソンの票を上回るという計算になった。
その後ウォレスは、1972年アメリカ合衆国大統領選挙、1976年アメリカ合衆国大統領選挙で民主党の指名を争うが敗退。また1972年5月15日には銃撃事件にあって下半身不随となった。しかしアラバマ州知事には1970年、1974年、1982年と選出されている。