サドベリー隕石孔
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サドベリー隕石孔(サドベリーいんせきこう;Sudbury Basin)とは、カナダオンタリオ州サドベリー市の北西に隣接するニッケル・銅鉱山群(ニッケル・銅硫化物鉱床)を含む1100平方kmに及ぶ構造をいう。サドベリー構造、サドベリー盆状構造、サドベリー鉱山地帯とも。隕石孔としては南アフリカ共和国のフレデフォート・ドームに次いで世界で2番目に大きい。なお、3番目はメキシコのチクシュルーブ・クレーターである。1964年にディーツ (en:Robert S. Dietz) が隕石説を唱えるまでは、カナダ盾状地に対する大規模な火成岩の貫入によると考えられていたため、サドベリー貫入岩体とも呼ばれる。
北米大陸五大湖の中央を占めるヒューロン湖には、東側にジョージア湾と呼ばれる入り江が付属する。サドベリーはジョージア湾の北50kmに位置し、隕石孔の中心の座標は北緯46度36分0秒西経81度11分0秒である。現在の隕石孔は堆積岩によって孔が埋もれているため、なだらかな凹凸がある平原である。
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[編集] 歴史
サドベリーが鉱山地帯として発見されたのは1883年である。周囲はカナダの東半分を占める広大なカナダ盾状地に見られる一般的な地形であり、氷床の浸食によって形成された湖が散らばる平坦な地形であった。針葉樹が繁茂しており、サドベリー自体も材木の集積場として始まった。鉱山が発見された経緯は鉄道建設によるものだ。カナダ東部と太平洋岸のバンクーバーを結ぶ大陸横断鉄道の一つ、カナダ太平洋鉄道の建設中、発破によってニッケルと銅の鉱石が見つかった。最初の鉱山はマレイ鉱山と名付けられた。ニッケルは1844年にようやく工業向けの用途、すなわち食器などの銀メッキの母材としての用途が見つかったばかりであり、当初は銅鉱山として稼働していた。
1888年にドイツ生まれのイギリスの化学者ルードウィッヒ・モンドと助手のカール・ランガーがニッケルカルボニル Ni(CO)4を経由し、純度99.99%のニッケルが得られるモンド法を開発、ニッケル合金の可能性が広がった。モンドは自らの手法をカナダにおいて応用するためモンドニッケル社をウェールズに創立している。
現在、重要な合金としては、熱膨張が極めて小さいインバー(鉄、ニッケル36%)、耐食性に優れたステンレス(鉄、クロム、ニッケル8%)、赤熱状態でも酸化されないニクロム(クロム、ニッケル78-89%)、海水に侵されないモネルメタル(銅、ニッケル70%)、ガラスと同じ熱膨張率を示すプラチナイト(鉄、ニッケル46%)、ステンレスを侵す硫化水素に耐えるINCO-276(クロム、モリブデン、ニッケル57%)、形状記憶合金 の先駆けニチノール(チタン、ニッケル55%)、このほか洋銀(亜鉛、銅、ニッケル10-20%)、コンスタンタン(銅、ニッケル45%)、マンガニン(銅、マンガン、ニッケル2-4%)、ニッケリン(亜鉛、銅、ニッケル20-30%)などがある。これらの合金を製造するには当然のことながらニッケルが欠かせない。
サドベリーは約50の鉱山からなり、発見から100年間にニッケル600万トン、銅もほぼ同程度を産出した。インドネシア、オーストラリア、キューバ、ニューカレドニア、南アフリカ共和国、ロシア(シベリア)などの新興国・地域のニッケル鉱山が探鉱・開発されるまでは、サドベリーのニッケルは年間世界生産の7割を占めていた。ニッケル、銅のほか、コバルトと白金も採鉱の対象となっている。
[編集] 地質
隕石孔を除くと周囲の地質は単純である。北西側は始生代に形成された花崗岩、もしくは片麻岩であり、南東側は、破砕された変成岩からなる。ところが、鉱山が林立する地域は異なる。長方形に近い楕円形が「同心円」をなして5つの異なった地質を示している。中心から数えて1番目から3番目は堆積岩からなり、ホワイトウオーター統と呼ばれる。順に砂岩、粘板岩、凝灰岩からなり、鉱業の対象とはならない。奇妙なことにホワイトウオーター統を構成する岩石は、サドベリー周辺の他の地域には一切認められない。ホワイトウオーター統の厚さは約4000mである。
中心から4番目と5番目がサドベリー貫入岩体と呼ばれ、火成岩からなる。4番目は巨晶花崗岩とも呼ばれるマイクロペグマタイト、5番目は斜方輝石と斜長石からなるノーライトである。5番目ともともとの地質の境界上にニッケル鉱山群が分布する。
これらの構造は、地下においてタマネギのように立体的な層状を成している。すなわち、2番目から5番目の層は樹木の年輪のように垂直に地下に潜っているのではなく、それぞれ地下でつながっている。
[編集] 隕石説の発展
第二次世界大戦後、岩石学の発達に従って、温度と圧力を変化させた場合のシリカ鉱物 (SiO2) の安定関係が次第に明らかになってきた。常温常圧下ではα石英が安定だが、573度でβ石英に転移する。さらに温度を上げると、870度でトリディマイト、さらにクリストバライトとなり、融解に到る。温度ではなく圧力を上げていくと、500度から800度の場合は、3.5GPaでコーサイト(1953年に合成)に、10GPaでスティッショバイト(1961年に合成)に転移することが分かった。
チャオ (E.C.T.Chao) らは、アメリカ合衆国アリゾナ州のバリンジャー・クレーターを調査し、まず1960年に天然のコーサイトを、1962年には天然のスティッショバイトを発見した。ディーツは1960年、隕石の衝突によって生じた跡をアストロブレーム (astrobleme) と命名、これはギリシャ語の星と傷を合成した術語である。ディーツは月のクレーターと地球の隕石孔を比較、月のクレーターにはマグマがあふれた跡と思われるものが観測できることに対し、地球の隕石孔にはマグマの跡がないことに気づく。月と似た構造を地表で探すうちに、サドベリーに行き着く。
ディーツは1964年、サドベリー貫入岩体の外側、つまり、本来の地質構造を調べるうちに奇妙な構造を見つけた。1905年、ドイツのバーデン=ヴュルテンベルク州シュタインハイム隕石孔で最初に見つかったシャッターコーンである。シャッターコーンは数mmから数mに及ぶ岩石の内部に生じた円錐状の割れ目であり、これまで隕石孔でしか見つかっていない。ガイブレイ (J. Guy-Bray) の1966年の論文ではディーツの主張が補強され、サドベリー貫入岩体の周囲全域に渡って、さらに周囲にのみシャッターコーンの存在が確認された。シャッターコーンの分布は貫入岩体の縁から13kmの地点まで至っていた。シャッターコーンの円錐の軸は衝撃波が発生した地点を指し示す。ガイブレイは不完全ながら、円錐の軸の方向を調査、軸がサドベリー隕石孔の中心、現在の地表より高い地点を示すことを指摘している。
ディーツの説では、約17億年前に隕石がサドベリーに落下、直径45kmの隕石孔が出現したのと同時に 衝突衝撃波によってシャッターコーンが形成された。落下の衝撃によりマグマが生成、隕石孔を満たした。体積が大きいため、マグマの冷却速度は遅く、層状(4番目と5番目の層)に分化した。硫化物に富んだ液にニッケルが溶け込み、ケイ酸塩の比重3前後に比べて重い(4から7)ため、下に沈んだ。こうして最外周部(5番目の層)がニッケルに富むこととなった。
その後、海水が隕石孔に侵入し、衝突時の破砕物と合わせて堆積しホワイトウオーター統(1番目から3番目の層)が堆積した。最後に、カナダ盾状地の造山運動であるグレンヴィル造山運動により、約10億年前に南東から圧縮力を受け現在のような楕円形の形状を成したというものである。
ニッケルと銅の由来については、マグマの分化によって形成されたと考えられている。ディーツは一つの可能性として、落下した隕石がニッケルに富む鉄隕石であったと記している。
[編集] 参考文献
- E. C. T. Chao, E. M. Shoemaker, and B. M. Madsen (1960) "First Natural Occurrence of Coesite", Science, 132, 220-222
- Dietz, R. S. (1960) "Meteorite impact suggested by shater cones in rocks", Science, 131, 1781-1784
- Dietz, R. S. (1964) "Sudbury structure as an astrobleme", J.Geol., 72, 412-434
- 周藤賢治、小山内康人『岩石学概論・上 記載岩石学 岩石学のための情報収集マニュアル』、共立出版、2003年、ISBN 4320046390
- 周藤賢治、小山内康人『岩石学概論・下 解析岩石学 成因的岩石学へのガイド』、共立出版、2004年、ISBN 4320046404
- 地学団体研究会、新版地学事典編集委員会編『新版 地学事典』、平凡社、2002年、ISBN 4582115063
- 植村武、水谷伸治郎編著『岩波講座 地球科学9 地質構造の形成』、岩波書店、1982年
- 佐々木、石原舜三、関陽太郎『岩波講座 地球科学14 地球の資源/地表の開発』、岩波書店、1979年
- 飯山敏道『鉱床学概論』、東京大学出版会、1994年、ISBN 4130621262
- 日下部実『地球科学シリーズ7 地球資源学入門 第2版』、共立出版、1990年、ISBN 4320045246