コミッショナー
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コミッショナー (commissioner) とは、組織における最高の権限を有する責任者や、欧米諸国における代理権を有する行政官の事。
スポーツ界では野球やボクシング、バスケットボールなどのプロスポーツにおいてその統制をとる最高権威者の職名として知られている。
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[編集] 野球界のコミッショナー
プロ野球においては最高責任者をコミッショナーと呼ぶ場合が多い。
MLBにおいて1919年に起こったブラックソックス事件をきっかけに、判事のケネソー・マウンテン・ランディスを、絶対的裁量権を有する「コミッショナー」として迎えいれたのが始まりとされている。現在のMLBコミッショナーはバド・セリグで第9代。詳細は「メジャーリーグベースボール」を参照。
日本プロ野球でも1951年にコミッショナー制度が成立した。詳細はコミッショナー (日本プロ野球)を参照。また、独立リーグの四国アイランドリーグ(現四国・九州アイランドリーグ)では、創設者であり株式会社IBLJ初代社長でもある石毛宏典が2007年12月までコミッショナーを務めていたが、石毛の退任後はコミッショナーを置いていない。
[編集] ボクシング界のコミッショナー
プロボクシングの場合、1国1コミッションの元でそれぞれの国で統括され、コミッショナーは国内でのすべての試合を指揮・監督する。
日本でも1952年に日本ボクシングコミッション(JBC)が設立され、コミッションルール第1部第1章「コミッショナーの権能」にて明記されている。
[編集] 歴代コミッショナー
- 田辺宗英(1952-1957)
- 真鍋八千代(1957-1975)
- 丹羽春夫(1975-1980)
- 保坂誠(1980-1996)
- 林有厚(1996-)
丹羽を除き全員が後楽園ホール運営会社(現在は株式会社東京ドーム)のトップであり、また丹羽と現職の林以外は逝去するまで務めた。
[編集] バスケットボール界のコミッショナー
プロバスケットボールでも最高責任者をコミッショナーと呼ぶ場合が多く、NBAでは1984年からデビッド・スターンが務めている。当初は「会長」だったが、1967年より「コミッショナー」となった。詳細は「NBA」の項を参照。
日本でもプロリーグ発足の先頭に立ち、株式会社日本プロバスケットボールリーグの初代社長でもある河内敏光氏が初代bjリーグコミッショナーに就任している。
[編集] プロレス界のコミッショナー
日本プロレスの時代は政治家が務める事が多かった。日本プロレス時代のコミッショナーは厳密には「日本プロレス界全体の」コミッショナーであり、東京プロレスや国際プロレスからも団体発足時に認可申請があった。日本プロレスの工作によりこれら団体の認可は実現せず、日本プロレスのみを認可団体として推移するうちに日本プロレスが崩壊、コミッショナーも活動を停止した。 1979年2月、新日本プロレスは国際プロレスとともに二階堂進をコミッショナーとして推戴することを発表したが、これは当時存在した三団体の一つである全日本プロレスに全く相談なしに行われたもので、全日本はこれを認めなかったばかりか全日本と新日本の関係がますます悪化することになった。なお、日本プロレス・新日本プロレスに擁立された各コミッショナーは、女子プロレスは管轄していない。 近年では2002年旗揚げのKAIENTAI-DOJOなどにコミッショナーが存在、タイトル等の管理委員など色々な役割を兼務している。プロレス団体の連合組織としてグローバルレスリング連盟が発足したが、会長がプロレスリング・ノア社長の三沢光晴であり、業界団体にとどまらずコミッショナー的な役割を果たすにはまだまだ課題が多い。
[編集] 歴代コミッショナー
- 日本プロレス時代
- 初代:酒井忠正(元伯爵・貴族院議員、横綱審議委員会委員長)
- 第二代:大野伴睦(衆議院議員・元衆院議長、当時自民党副総裁)
- 第三代:川島正次郎(衆議院議員、後の自民党副総裁)
- 第四代:椎名悦三郎(衆議院議員・元外相、後の自民党副総裁)
- 新日本プロレス・国際プロレス
- 二階堂進(衆議院議員・元官房長官、後の自民党副総裁)
- KAIENTAI-DOJO
[編集] ボーイスカウトにおけるコミッショナー
ボーイスカウトにおけるコミッショナーとは、スポーツ界における最高権威者ではなく、全国組織・地方組織において、特定分野を担任して指導にあたる役員のことである。(ただしその任務は各国によって違いがある。)
スカウト運動の創生期より、創始者ロバート・ベーデン=パウエル卿が、自らの代理者として活動方法・基準などの監督や相談に応じる「巡回監督(Traveling Inspector)」を任命したのがコミッショナー制度の始まりで、その後のスカウト運動の広がりを受け、1910年に「組織コミッショナー(Organizing Commissioner)」が正式に誕生した。
日本のスカウト運動におけるコミッショナーは、各組織におけるスカウト活動(教育)が、世界スカウト機構、日本連盟、都道府県連盟の方針と規定に従って展開されるように指導・助言を行い、教育・指導面の推進者・責任者としての任務を担っている。