ゲルリッヒ砲
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ゲルリッヒ砲(ゲルリッヒほう)とは砲尾から砲身にかけて口径が小さくなっていく口径漸減(スクイーズド・ボア)砲。ドイツではゲルリッヒ博士(Gerlich)によって開発されたためこの名称で呼ばれる。タングステン合金製の芯の周囲に柔らかい金属の傘状の突起が巻かれた形の砲弾を用い、砲身内部の発射圧をより効率的に砲弾に加えることができ、通常の同口径の砲よりも砲弾を加速させることができる。そのため、口径の割には強力な貫通力を持つ砲となる。
理論は第二次世界大戦以前から欧米で研究されていた。高圧に耐える弾の実用化が難しいという問題に直面しており、当時は実現不可能とされていた。しかし、ドイツでは1940年の時点で実用化・量産しており、主に東部戦線(対ロシア戦線)で対戦車用として実戦投入されていた。小型の2.8cm sPzB41重対戦車銃はイタリア戦線等でも使用されており、当時捕獲した米英諸国は実際に使用されているのを見て唖然としたという。これは砲一式がコンパクトだったので、特に空挺部隊向け軽量砲架と小型防盾の2.8cm sPZb le.Fl-41は分解して兵士3~4名で背負って運べる等、理想的兵器だった。この外にもより大型のゲルリッヒ砲である4.2cm lePak41や、7.5cm Pak41があり、特に後者は1000mで177mmの垂直に立った装甲板を撃ち抜く威力を見せた。反面、その原理故に砲身の磨耗が早く(Pak41で400発で交換)、また砲弾に使用するタングステン・カーバイドがドイツ国内で産出しない物であり、それらの物質も工作機械への使用が優先され、Pak41は150門の限定生産に終わった。最も数が作られたsPzB41は軽装甲車輌に搭載されるなどして、その後も細々と使用され続けた。
なおイギリス軍でも、第二次大戦後半に2ポンド戦車砲を強化するために、砲口に減口径砲身を追加・延長した「リトルジョン・アダプター」が使用されている。これはタングステン芯40mm砲弾が30mmに減口径されるもので、APSV(超高速徹甲弾)Mk.Iで初速1280m/秒で450m先の90mm/60度装甲を貫通、より重いMk.IIでは同条件で1143m/秒、100mmを超える装甲を撃ち抜くとされ、後期の軽戦車や装甲車の一部で用いられた。
しかしこの手の減口径砲は独特の設計のため弾頭の大型化に難があり、また先述のように砲身寿命が短く、榴弾が使用できないものもあり、これ以上発展することはなかった。大戦後は減口径砲身を使わず、砲弾の周囲の装弾筒を分離させ弾芯だけを飛ばすAPDS(装弾筒付徹甲弾)やAPFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)などの砲弾が登場した事から、現代の戦場で使われることはまず無い。