クィルバック (潜水艦)
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艦歴 | |
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発注: | |
起工: | 1944年6月27日 |
進水: | 1944年10月1日 |
就役: | 1944年12月29日 |
退役: | 1973年3月23日 |
その後: | スクラップとして売却 |
除籍: | 1973年3月23日 |
性能諸元 | |
排水量: | 1,570トン(水上)、 2,416トン(水中) |
全長: | 311.8 ft (95 m) |
全幅: | 27.2 ft |
吃水: | 15.3 ft |
機関: | |
最大速: | 20ノット(水上) 9ノット(水中) |
乗員: | 士官、兵員66名 |
兵装: | 5インチ砲1門、40mm砲1門、 21インチ魚雷発射管10門 |
クィルバック (USS Quillback, SS-424) は、アメリカ海軍の潜水艦。テンチ級潜水艦の一隻。艦名はサッカー科の淡水魚クィルバックに因む。
[編集] 艦歴
本艦は建造が認可された当初、艦名はトレンブラー (Trembler) と命名される予定であったが、1943年12月7日に変更された。クィルバックは1944年6月27日にメイン州キタリーのポーツマス海軍造船所で起工した。1944年10月1日にJ・A・タイリー・ジュニア夫人によって命名され、1944年12月29日に艦長R・P・ニコルソン少佐の指揮下就役する。
コネチカット州ニューロンドンでの訓練およびフロリダ州キーウェストでの実験プロジェクトの後、クィルバックは真珠湾に向けて出航し、最初の哨戒に就く。5月30日から7月24日まで九州沖合で行われた哨戒では、1隻の魚雷艇を撃沈し、沿岸から0.5マイルの海上で一人のパイロットを救助した。クィルバックは2回目の哨戒に向けてグアムで修理中に終戦となる。
クィルバックは平時任務としてニューロンドンで第2潜水戦隊に所属し活動した。1945年から51年まで潜水艦学校の訓練任務に従事し、海軍水中聴音研究所の実験任務を行う。1951年4月にニューロンドンを出航し、地中海での第6艦隊との任務に就く。クィルバックは1952年4月にポーツマス海軍造船所でGUPPY改修が行われた。
改修が完了するとクィルバックは1953年2月27日に再就役し、大西洋艦隊潜水艦部隊に合流する。クィルバックはキーウェストの第4潜水戦隊に配属された。グアンタナモ湾への何度かの巡航と沿岸での作戦活動を行い、クィルバックは駆逐艦対潜水艦戦部隊の艦隊訓練グループを支援した。1956年、57年、58年にクィルバックは北大西洋での大規模艦隊演習およびNATOの演習に参加した。
1959年に第12潜水戦隊へ転属となり、1960年にはサウスカロライナ州チャールストンで、攻撃能力向上のための広範囲オーバーホールが行われた。1961年10月に地中海へ展開し、1962年2月にキーウェストに帰還する。キーウェストでは5月から10月まで活動し、キューバ危機が発生するとグアンタナモ湾へ展開する。1963年はキーウェストで活動し、グアンタナモ湾での艦隊訓練グループの支援を行う。
クィルバックは1964年7月から6ヶ月地中海へ展開した。1965年には水雷研究開発プロジェクトの実験任務が割り当てられ6月まで同任務に従事、その後グアンタナモ湾に展開する。キーウェストでの作戦活動後、1967年8月から11月まで地中海に再び展開した。1968年と69年は大半をカリブ海での活動で過ごす。
クィルバックは1973年3月23日に除籍され、1974年3月21日に売却された。
クィルバックは第二次世界大戦の戦功で1個の従軍星章を受章した。
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