ガイウス・プリニウス・セクンドゥス
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ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(Gaius Plinius Secundus, 23年 - 79年)は、古代ローマの博物学者、政治家、軍人。甥に文人で政治家のガイウス・プリニウス・カエキリウス・セクンドゥス(小プリニウス)がおり、養子としている。小プリニウスと区別するため大プリニウスと呼ばれる。ローマ帝国の海外領土総督を歴任する傍ら『博物誌』を著した。
地中海艦隊の司令官として南イタリアのミセヌムにいたとき、ヴェスヴィオ火山の噴火を目撃した。プリニウスは救助活動のため艦隊を率いてポンペイへ向かったが、その道中で病死した。病死ではなく、火山の観察を続けるうちに避難し遅れたのだとも言われている。