オロフ・パルメ
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オロフ・パルメ( Sven Olof Joachim Palme 、1927年1月30日 - 1986年2月28日)は、スウェーデンの政治家、元首相。
ストックホルム大学卒業。スウェーデン全学連委員長時代には、ヴェトナム平和回復運動の先頭に立つ。1952年スウェーデン社会民主労働党に入党。1957年上院議員に初当選。1963年エルランデル首相のもとで無任所相に就任。1965年運輸通信相、1967年教育相を歴任。1969年エルランデルが高齢を理由に引退し、その後を受けて、42歳で社会民主労働党党首及び首相に就任。1976年の総選挙では、ブルジョワ・ブロック(中央党、穏健党、自由党)に大敗し、44年ぶりに社会民主労働党が下野。続く1979年の総選挙では善戦したものの政権奪還に失敗。1982年の総選挙では、ブルジョワ・ブロックの失政をついて快勝し、首相に再就任。1986年ストックホルムの路上で何者かによって暗殺された。尚、事件後に容疑者としてスウェーデン生まれのクリステル・ペターションが逮捕され、裁判で終身刑を受けるものの2004年に死亡した(又、ソ連国家保安委員会(KGB)が事前に掴んでいた可能性があるとスウェーデンの新聞等で報じられたがKGBはこれを否定した)。2006年暗殺に使用されたと見られる拳銃をスウェーデン、ダラルナ州にある湖底で発見。
カリスマ・リーダーとして登場したものの、内政では大企業の国営化プログラムなど当時から物議をかもした政策を推進しようとしたため、あまり評価はよくないが、外交政策においては、第三世界問題や国連軍縮委員会(パルメ委員会)でイニシアティブを発揮するなどしたため高く評価されている。
彼はベトナム戦争に対するアメリカ合衆国の介入を強硬に批判し、大量の兵役忌避者や脱走兵を受け入れた。また、1968年にソビエト連邦のプラハの春に対する武力弾圧や南アフリカ共和国のアパルトヘイト政策、スペインのフランコ政権による独裁政治を辛らつに批判し続け、反核運動にも尽力した。
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