オリエント時計
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種類 | 株式会社 | ||||||
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市場情報 |
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略称 | オリエント | ||||||
本社所在地 | 101-0021 東京都千代田区外神田二丁目4番4号 電波ビル |
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電話番号 | 03-3255-1451 | ||||||
設立 | 1950年7月13日 | ||||||
業種 | 電気機器 | ||||||
事業内容 | 時計、情報関連事業、電子デバイス事業 | ||||||
代表者 | 渡邉淳(代表取締役社長) | ||||||
資本金 | 1,937百万円(2007年9月30日時点) | ||||||
売上高 | 単独:234億1,549万円 連結:254億1,045万円(2007年3月期) |
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総資産 | 単独:102億8,347万円 連結:139億4,700万円(2007年3月期) |
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従業員数 | 単独:123名 連結:761名 (2007年9月30日時点) |
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決算期 | 3月31日 | ||||||
主要株主 | セイコーエプソン (52%、2007年3月31日時点) | ||||||
主要子会社 | 秋田オリエント精密、ユーティーエス | ||||||
関係する人物 | 吉田庄五郎 | ||||||
外部リンク | http://www.orient-watch.com/ | ||||||
オリエント時計株式会社(オリエントどけいかぶしきがいしゃ[1])は、東京都千代田区外神田に本社をおく日本の企業。セイコーエプソン株式会社の子会社である。連結事業として
を行なっている。
目次 |
[編集] 概要
かつてはウォッチ専業メーカーであったが、プリンタ事業や電子機器事業に進出し、2007年(平成19年)3月期には連結売上高の7割近くが時計以外の事業によるものとなっている。
ウォッチの分野では、機械式腕時計が全盛だった1970年代前半まで、独特のセンスによる強烈なデザイン[2]の腕時計を世に送りだしていた。1970年代にはクォーツ時計の比率を高め、アラーム腕時計「デジタル三世」、低価格腕時計「デジタルエース」などのヒット商品を生みだした。一時は機械式時計の開発を行わなくなったが、2007年(平成19年)時点では「オリエントスター」などの比較的単価の高い機械式時計が主力商品となっており、クォーツの比率は低くなっている。
1978年(昭和53年)にはクロックメーカーの東京時計製造株式会社を買収し、クロック分野に進出したが、後に撤退している。
[編集] 沿革
[編集] 東洋時計株式会社
(1901年(明治34年) - 吉田庄五郎により、下谷区上野元黒門町(後の台東区上野二丁目)にて吉田時計店が創業される。)
- 1920年(大正9年) - 東洋時計製作所として設立され、置時計の製造を始める。
- 1934年(昭和9年) - 腕時計の製造を始める。
- 1936年(昭和11年) - 南多摩郡日野町(後の日野市)に工場を新設する。
- 戦時中 - 社名を変更し東洋兵器工業株式会社となる。後に東洋時計株式会社へと社名変更する。
- 1946年(昭和21年) - 労働争議(東洋時計上尾争議)が勃発し、1名が死亡、100名以上[3]が負傷する。
後に東洋時計は事業を停止する。
[編集] オリエント時計株式会社
- 1950年(昭和25年) - 南多摩郡日野町にて設立される。当時の社名は多摩計器株式会社。東洋時計の日野工場を借り受け、腕時計などの製造を始める。
- 1951年(昭和26年) - 社名を変更し、オリエント時計株式会社となる。
- 1952年(昭和27年) - 借り受けていた日野工場が公売にかけられたため、これを落札して自社所有とする。
- 1953年(昭和28年) - 本店を中央区へ移転する。
- 1956年(昭和31年) - 本店を千代田区へ移転する。
- 1961年(昭和36年) - 東京証券取引所第2部に上場する。
- 1978年(昭和53年) - 東京時計製造株式会社の株式を過半数取得し、子会社とする。
- 1981年(昭和56年) - 子会社として羽後時計精密株式会社(後の株式会社ユーティーエス)を設立する。
- 1984年(昭和59年) - 東京時計製造を清算する[4]。
- 同年 - セイコーエプソン株式会社との合弁により株式会社ソーテックを設立し、IC組立事業に進出する。
- 1986年(昭和61年) - 子会社として秋田オリエント精密株式会社を設立する。
- 1997年(平成9年) - セイコーエプソンが筆頭株主となる。
- 1998年(平成10年) - ソーテックをセイコーエプソンへ譲渡する。
- 2001年(平成13年) - 本社を千代田区の本店所在地へ移転し、日野事業所から撤退する。
- 同年 - セイコーエプソンに対する第三者割当増資を行い、52%の株式を取得した同社が親会社となる。旧日野事業所は同社が引き取った。
- 2003年(平成15年) - 3期連続で債務超過の状態が続いたため、東証2部を上場廃止となる。グリーンシート銘柄として登録される。
[編集] 関連企業
一部のみを記載する。
[編集] 秋田オリエント精密株式会社
オリエント時計の子会社である。かつては腕時計用ムーブメントなどを生産していたが、後にプリンタ部品、水晶振動子の加工、組立が主たる事業となった。本社は秋田県湯沢市。
[編集] 沿革
- 1986年(昭和61年) - 設立される。
- 1999年(平成11年) - 株式会社ユーティーエスから時計事業を譲受する。
- 2003年(平成15年) - オリエント時計へ時計事業を譲渡する。
[編集] 株式会社ユーティーエス
オリエント時計の子会社である。シリコンウェハーの加工を主たる事業としている。かつては腕時計の地板、ケース、バンドなども生産していた。本社は秋田県雄勝郡羽後町。
[編集] 沿革
- 1981年(昭和56年) - 羽後時計精密株式会社として設立される。
- 1986年(昭和61年) - 社名を変更し、株式会社ユーティーエスとなる。
- 1999年(平成11年) - 秋田オリエント精密株式会社へ時計事業を譲渡する。
[編集] 脚注
- ^ 東洋経済新報社『会社四季報 未上場会社版 2007年下期』には「オリエントどけい」と記載されている。一方、日本経済新聞社『会社総鑑 2005年版 上巻 未上場会社版』 ISBN 978-4532210656 などには「おりえんととけい」と記載されている。
- ^ 森年樹『国産腕時計(11) オリエント』トンボ出版、1999年、25頁より。
- ^ ただし負傷者数は、当事者発表の人数を足し合わせたもの。法政大学大原社会問題研究所編著『日本労働年鑑 第22集』より。
- ^ 『日経産業新聞』1984年4月14日6面、1984年11月19日9面、1985年1月7日9面より。ただし、オリエント時計株式会社 第82期 有価証券報告書PDF には、1983年(昭和58年)に清算された旨が記載されている。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- オリエント時計株式会社 第82期 有価証券報告書PDF、2007年。
- オリエント時計株式会社 第54期 有価証券報告書総覧、大蔵省印刷局、1979年。
- 森年樹『国産腕時計(11) オリエント』トンボ出版、1999年、25-26頁。ISBN 978-4887161078