ウェルタンク
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ウェルタンク(うぇるたんく)は蒸気機関車で用いられる水タンクの設置方式の一種である。
[編集] 概要
薄い鋼板を組合わせて箱状に構成される板台枠方式の台枠を採用する蒸気機関車において、台枠に横梁を入れて十分に補強し、これに底板などの仕切り板を追加することで、通常は空きスペースとなる主台枠内の空間を水タンクとして有効活用する方式である。
給水はボイラ脇の台枠上に給水パイプを設置してそこから行うケース(伊豫鉄道甲1形など)と、前面の台枠端梁上部に給水パイプを突き出して、そこから行うケース(西大寺鉄道1形など)に大別され、ボイラへの注水はウェルタンクの最下部からインジェクタやポンプで行う[1]。
この方式は台枠の製造に当たって各部の接合について鋲接を強固に行い水密を十分なものとする必要があるが、台枠強度の向上と低重心化が必然的に実現され、更に台枠上の本来は水タンクのためのスペースが利用されず空くため、その分だけ燃料庫容積の拡大が可能となり、容積のかさばる低質燃料の使用も容易となる、というメリットがある。また、水タンク容積が台枠容積以下に制限されることになるが、それで不足の場合は一般にサイドタンクとの併用によるサイド・ウェルタンク方式とすることで補える[2]。このため、特にタンク機関車で車体サイズを変えずに水タンク容積を可能な限り拡大したい場合にも有効な設計手法である。
水タンク位置は通常、空積による重心移動や軸重の変化による影響を極力最小限に抑える意味で動軸間とされるが、前方のシリンダブロック間などに設けられたケースも少数ながら存在した。
この方式はドイツのゲオルグ・フォン・クラウス(Georg von Krauss(1826-1906))がスイス北東鉄道(Schweizrischen Nordost-Bahn)機関車主任時代に考案し、ドイツ・ミュンヘンにおいてクラウス社(Locomotivfabrik Krauss & Comp.:現在のクラウス=マッファイ社)を創業後、1867年に完成した第1号機関車であるオルデンブルク大公国官有鉄道向けテンダ機関車の「Landwührden」[3]からクラウス・システムとして実用化した。
これは特に軍用軽便鉄道向けをはじめとする軸配置BあるいはCといったクラスの小型蒸気機関車の分野において大きな成功を収め、更にその有用性故にコッペルを筆頭とする欧州の機関車メーカー各社[4]と、それらの製品を模倣した日本[5]などの機関車メーカー各社が主として小型機に多用している。
事実、日本に輸入されたクラウス社製蒸気機関車では、その輸入第一号である伊豫鉄道甲1形から最終期の下津井軽便鉄道11形などまで、イギリス流の仕様を発注者がそのまま提示したと見られる甲武鉄道K4形などのごく一部の例外を除くほぼ全車に採用された。またこの方式は、日本の軽便鉄道で最大勢力をなしたコッペル社製機関車でも特殊なギアボックスを動輪間に備えていたために台枠内にスペースが確保できなかった鉄道連隊E形などを除くほぼ全てに採用されており、日本の軽便鉄道向けタンク機関車の事実上の標準となった方式である。
なお、この方式について日本で、官公庁の許認可文書を含め一般に用いられている「ボトムタンク」という語は和製英語[6]であり、英語圏ではこの語は通用しない。また、開発国であるドイツでは「ヴァッサーカステンラーメン(Wasserkastenrahmen:水タンク台枠)」と呼ぶ。
[編集] 脚注
- ^ この車両の底から水を汲み上げるようなイメージが、英語名である「Well Tank(井戸タンク)」の語源となったと見られている。
- ^ この場合はサイドタンクの底部から出した導水管を台枠内のウェルタンクに連結し、給水はサイドタンクの上部から行い、ボイラへの注水は通常のウェルタンクと同様に行う。
- ^ パリ万国博に出品され、金メダルを受賞。現在ニュルンベルクのDB博物館に保存。
- ^ もっとも、内部スティーブンソン式弁装置を愛用したイギリスのメーカーでの採用実績は少ない。
- ^ 日本車輌製造、雨宮製作所、深川造船所、楠木製作所など3tから15t程度の自重の小型蒸気機関車を製造したほとんどのメーカーがこの方式を採用した。
- ^ おそらくは大正時代の地方私鉄から鉄道院→鉄道省への車両設計認可申請文書が初出と見られるが、正確な初出は明らかではない。