インディジェナス
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インディジェナス | |
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現役期間: | {{{時}}} |
現役期間: | {{{現役時期}}} |
原語表記: | {{{原語}}} |
英字表記: | {{{英}}} |
英字表記: | {{{ラテン文字表記}}} |
品種: | サラブレッド |
性別: | 騸 |
毛色: | 黒鹿毛 |
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白斑: | {{{白斑}}} |
生誕: | 1993年4月25日 |
死没: | 2004年8月8日 |
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登録日: | {{{登}}} |
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父: | Marju |
母: | Sea Port |
母の父: | Averof |
生国: | アイルランド |
生産: | Oldtown Stud |
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馬主: | Mr & Mrs.Yuen Hing Pang |
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調教師: | Kevin Prendergast(愛国) →S.L.Leung(香港) →L.S.Li(香港) →Ivan W.Allan(香港) |
調教師: | {{{調教師}}} |
厩務員: | {{{厩}}} |
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競走成績 | |
生涯成績: | 70戦15勝 |
獲得賞金: | 45,125,289香港ドル(換算) |
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インディジェナス(原居民、Indigenous、1993年 - 2004年)は香港の競走馬。愛香日英星ドバイで走り70戦15勝の成績を残した。ジャパンカップにも3度遠征、1999年には12番人気の低評価の中2着に粘り、大穴を演出した。長く現役を続け、多くの香港の競馬ファンに親しまれた名馬である。
[編集] 戦績
インディジェナスは最初アイルランドで登録され下級戦のみ8戦3勝と芽が出なかったため、3歳のシルケントーマスハンディキャップを最後に1996年より香港に移籍した。 4歳となったインディジェナスは移籍4戦目の1996/1997シーズンの香港ダービーで3着と健闘(ちなみに1着はオリエンタルエクスプレス(奔騰))。そして、8戦目のこのシーズン最後のG1、香港チャンピオンズ&チャターカップでG1初勝利を飾り、一躍トップホースの仲間入りを果たす。
1997/1998シーズンよりI.W.アラン厩舎に移籍。11月の香港三冠第1弾スチュワーズカップ(香港G1)では3着、12月の香港国際ヴァーズ(香港G1、国際G2)では4着と今一歩の競馬が続くが、明けて5歳となると、バジル・マーカス騎手を背に初戦のサンミゲルシルヴァータンカードハンディキャップ、次のセンテナリーヴァーズハンディキャップと上級条件戦を連勝。1戦おいて香港三冠第2弾の香港ゴールドカップ(香港G1)で待望のG1・2勝目を飾る。続くクイーンエリザベス2世カップ(香港G1、国際G2)ではまたしてもオリエンタルエクスプレスに敗れる(4着)が、その後のシャティンフューチュリティトロフィ(香港G2)では同シーズンの香港ダービー馬ヨハンクライフ(告魯夫)を退けると、更に香港三冠第3弾のチャンピオンズ&チャターカップ(香港G1)では単勝1.1倍の圧倒的支持のに応え二連覇を飾るとともに、香港三冠のうち二冠を制覇した。
5歳後半となり1998/1999シーズンを迎えると、上級条件戦を2連勝と幸先のいいスタートを切るが、1番人気に支持されたスチュワーズカップ(香港G1)では4着に敗れた。しかし、続く香港国際ヴァーズ(香港G1、国際G2)では、ダグラス・ホワイト騎手を背にカイタノ、ウンガロ、フルーツオブラブ、ストラテジックチョイスなど日本でもお馴染みの強豪を向こうに回し見事勝利。長距離での絶対的な安定感を誇示した。 年が明けて6歳になると、香港ゴールドカップ(香港G1)を連覇し、クイーンエリザベス2世カップ(香港G1、国際G2)の2着経て、チャンピオンズ&チャターカップ(香港G1)に3連覇をかけて臨むが、単勝1.2倍の期待に応えられず2着に敗れた。ここでも立ちはだかったのは宿敵オリエンタルエクスプレスだった。 しかし、シーズンを通しての活躍が評価され、このシーズンの年度代表馬に選ばれた。 また、夏にはイギリスのキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスに遠征を敢行。6着には敗れたが、デイラミらを向こうに回してのレース内容は大きく手応えを感じたようで、陣営はジャパンカップを最大目標にその後の調整を行うこととなった。
1999/2000シーズンに入ると、予定通り11月の上級条件戦を叩いてジャパンカップに参戦。この叩いたレースが1000m戦で、しかも10着と惨敗していたことから色物扱いされ12番人気とまったく人気がなかったが、1番人気モンジューを振り切り、スペシャルウィークに1馬身差の2着と大健闘を収め、香港流の調整に日本のファンを驚かせた。
その後は1勝もできなかったが、ジャパンカップに2度の来日、ドバイワールドカップ、ドバイシーマクラシック、シンガポール航空国際カップなど海外への積極的に遠征を続けながら、10歳まで一線で活躍。 通算3回に渡ったジャパンカップの他、ステイゴールドの勝ったドバイシーマクラシックへの出走や、9歳時のクイーンエリザベス2世カップでエイシンプレストンとアグネスデジタルの日本馬2頭の1,2着を猛追してクビ差の3着に入るなど、日本との関わりが深い。
10歳時、引退レースとして通算7度目となる香港チャンピオンズ&チャーターカップに出走、引退した。その後は屯門の公立乗馬学校で余生を送っていたが、2004年8月に病気のために死亡。
[編集] 血統表
インディジェナスの血統 (ノーザンダンサー系/アウトブリード) | |||
父
Marju 1988 黒鹿毛 |
*ラストタイクーン Last Tycoon 1983 黒鹿毛 |
*トライマイベスト Try My Best |
Northern Dancer |
Sex Appeal | |||
Mill Princess | Mill Reef | ||
Irish Lass | |||
Flame of Tara 1980 鹿毛 |
*アーテイアス Artaius |
Round Table | |
Stylish Pattern | |||
Welsh Flame | Welsh Pageant | ||
Electric Flash | |||
母
Sea Port 1980 黒鹿毛 |
Averof 1971 黒鹿毛 |
Sing Sing | Tudor Minstrel |
Agin the Law | |||
Argentina | Nearco | ||
Silvery Moon | |||
Anchor 1966 栗毛 |
Major Portion | Court Martial | |
Better Half | |||
Ripeck | Ribot | ||
Kyak F-No.11 |