アールグレイ
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アールグレイ (Earl Grey)
アールグレイ (Earl Grey) とは、ベルガモット (Bergamot) で柑橘系の香りをつけた紅茶。フレーバーティーの一種。原料は中国茶のキーマン茶(祁門茶)が使われることが多いが、茶葉のブレンドは特に規定がないため、セイロン茶や、中国茶とセイロン茶のブレンド、稀にダージリンなども用いられる。[1]。
アールグレイの販売会社は、ジャクソン社・トワイニング社・フォートナム・メイソン社[2]の製品がよく知られている。なおアールグレイとは「グレイ伯爵」の意であり、19世紀のイギリス首相、第二代グレイ伯チャールズ・グレイに由来する。
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特徴
アールグレイは、柑橘類ベルガモットの落ち着きある芳香が強い特徴である。 このベルガモットの香りは、多くの場合、精油や香料で着香される。近年では、さらにオレンジ・ピールを茶葉に混ぜ込んだものもある[3]。
茶の香気成分は冷やした場合控え目になるが、人工的に香りを付けた着香茶であるアールグレイはアイスでも香りが比較的分かりやすいため、アイスティーに用いられることも多い。逆にベルガモットの芳香は温度が高くなるほど引き立つので、(会社・銘柄にもよるが)アイスティーを念頭に強めの香りをつけたものなどをホットティーにすると、慣れていない人にとっては非常に飲みにくいものとなりやすい。
由来
アールグレイの名前は、19世紀のイギリス首相チャールズ・グレイに由来する。 中国の着香茶を、ある外交官から贈られたグレイが、それを気に入り茶商に作らせたとの話が普及している。しかし近年、アールグレイは1960年代後半で生まれたことが判明している[4]。そのため、この伝承の真偽はわからない。
- なお伝承のパターンは様々あり、2代目グレイ伯チャールズ・グレイが海軍大臣であった1807年に外交上の贈答品として受け取った正山小種を気に入り、再現を出入りの茶商人に命じたというもの[5]、ベルガモットで香りをつけた紅茶を受け取ったというものなどがある。別のパターンでは、1830年代に中国に外交使節として滞在していたグレイ伯爵が自ら考案した、もしくは彼の配下の一人が人助けをしてその例として製法を教わったというものがある。あるいは助けた礼という点では同じだが、助けた相手は虎に襲われたマハラジャの子供であった等の脚色されたものがあるが、これらグレイ考案説は事実ではない[6]。
余談
これらの伝承には尾ひれがついて、現在では検証不可能な脚色がされ、また伝承に基き「オリジナル争い」がメーカー間で行われたりもするが、あまり意味のあることではない[7]。以下、参考に付記する。
- アールグレイの香りは武夷山で取れる正山小種(ラプサン・スーチョン)の龍眼の香りを模したものとの伝承もある[8]。しかし正露丸の匂いとも例えられるラプサン・スーチョンの香りとベルガモットの香りはかなり隔たりがあることも事実であるため、この伝承には無理がある。また、ラプサン・スーチョンの香りは濡らした松葉で燻して香りを着けたものであるが、一説には正山小種がイギリスに初めて紹介された頃は現在ほど強くは燻されていなかった云々と説明する本もあるが、当時の正山小種が残っていない以上、この説は検証不可能である。また石灰質のロンドンの水では正山小種が持つ龍眼に似た香りを引き出すことが出来なかったため、イギリスの茶商人がより強い香りの求めた所、より強く松葉で燻された現在のラプサン・スーチョンが出来上がったという説もある[9]。一方、アールグレイティーのベルガモットは、龍眼を知らなかったイギリス人が代替品としてシチリア島のベルガモットオイル使って着香したとする説がある[10]。
いずれにせよアールグレイとラプサン・スーチョンは、製法も香味もまったく異なる別の紅茶である。 前者は現代ではかなりポピュラーな紅茶であるが、後者は特殊な茶であり、紅茶専門店でも見かけることは稀である。
ところで、「アールグレイティー」という名前の紅茶は1935年出版のユーカーズの『オール・アバウト・ティー』には記載がなく、初めて売り出されたのは1960年代とされる[11]。
脚注
- ^ 荒木他、2002、p.273
- ^ フォートナム・メイソンのアールグレイにはラプサン・スーチョンを使う製品もラインナップされている。
- ^ トワイニングのレディグレイなど。
- ^ 『紅茶をもっと楽しむ12ヶ月』、日本紅茶協会監修
- ^ 磯淵『一杯の紅茶の世界史』、2005
- ^ グレイ伯は1830年から1834年まで首相を務め、その後は故郷の屋敷で余生を過ごしたとのこと(Encyclopedia Britannica 10, 1959, pp.881-882)。中国やインドに外交使節として赴いたという事実はない(荒木他、2002、p.274)
- ^ 「オリジナル争い」について、グレイ伯が開発を命じたとされる茶商が長らく不明であり、ジャクソン社とトワイニング社の元祖争いの原因ともなっている。ジャクソン社の主張する所によれば、第二代グレイ伯の出入り商人の店をジャクソン社が吸収したとのことである(荒木他、2002、p.273)。一方、トワイニング社によれば二代目の頃は違うものの、代々のグレイ伯爵とトワイニングは親しく付き合っており、第五代グレイ伯がトワイニングを元祖として認めていることが根拠として挙げられている(磯淵猛『一杯の紅茶の世界史』、2005)。
- ^ 磯淵、『紅茶事典』、pp.112-113、pp.142-143
- ^ 磯淵、『一杯の紅茶の世界史』、pp.40-43。磯淵によれば、現在でも強く燻さない正山小種は龍眼に似た香りを持つという。前掲書、p.32
- ^ 磯淵、『紅茶事典』、pp.142-143
- ^ 荒木他、2002、pp.10-11、p.274
参考文献
- 磯淵猛『紅茶事典』新星出版社、2005
- 磯淵猛『一杯の紅茶の世界史』文藝春秋社<文春新書>、2005
- 荒木安正他『紅茶の事典』柴田書店、2002