アルレッティ
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アルレッティ(Arletty, 1898年5月15日 - 1992年7月24日)はフランスのクールブヴォア出身のモデル、女優、歌手。本名Leonie Bathiat。
[編集] 生涯
プートゥイユのイディス・バルビエ専門学校で教育を受けたあと、軍需工場で女工として働くもすぐに辞めて、速記といった秘書の仕事やモデルを経て、1919年からキャプシーヌ劇場で初舞台を踏み、女優として活動をスタート。リップのレビューを経て、芝居やオペラの上演に参加し、舞台で高い評価を得た後、1930年に映画界に進出。映画出演のかたわら、舞台も1936年にミシェル・シモンと共演したコメディー「Fric-Frac」で大成功を収めた。
映画は1935年、ジャック・フェデーの「ミモザ館」を経て、1938年の「北ホテル」でマルセル・カルネ作品に初出演、その後は年増女にしか出せない艶やかさで、40代になってようやくスター女優として活躍、1942年の「悪魔が夜来たる」の出演後の、1945年の「天井桟敷の人々」でジャン=ルイ・バロー扮する主人公バチストが思いを寄せる女芸人ガランスを演じ、名声を確立、映画史に残る存在となった。パリ解放後は、戦時中にドイツ軍将校の愛人であったことから、対独協力の容疑で一時拘束されたが、やがて嫌疑がはれて、芸能活動を再開、彼女の人気が落ちることがなかった。
1949年にスクリーン復帰、また1962年には唯一のアメリカ映画となった「史上最大の作戦」に出演。舞台ではテネシー・ウィリアムズ原作の「欲望という名の電車」のフランス版でブランチ役を演じるなど、その後も映画と舞台に活躍していたが、1964年から事故が元で視力を失い始め、1966年暮れには完全に失明し、女優業の引退を余儀なくされた。しかし、それでもその美しい声を望まれて、後年は数本の映画のナレーションを務め、ラジオ番組にも出演して健在ぶりを示した。1982年にセザール特別賞を受賞、1992年に世を去った。ドキュメンタリーとして1983年と1988年に製作され、また彼女の功績を称え、アルレッティ賞も創設された。まさしく戦前、戦後を通してフランスを代表する性格女優のひとりだが、そのほとんどの出演作品は日本では未公開のままである。
自伝として「女優アルレッティ・天井桟敷のミューズ」がある。ちなみに芸名のアルレッティは、彼女の両親の生地近くを舞台とするモーパッサンの「Monte-Oriol」のヒロインの名前から命名したもの。