アブ・サヤフ
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アブ・サヤフ(Abu Sayyaf)はフィリピンの過激派組織。フィリピン政府とアメリカ合衆国によってテロ組織に指名されている。
アブ・サヤフを設立したのはフィリピン人イスラム教徒のアブドラガク・ジャンジャラーニ(Abduragak Janjalani)である。彼はソビエト連邦のアフガニスタン侵攻に対抗する為アフガンへ渡り、サウジアラビア人やアフガン人のムスリム組織「イスラム聖戦士」(ムジャーヒディーン)がパキスタン国境付近に作った7つの武装組織の内、アフガン人のアブドル・ラスル・サヤフ(Abdul Rasul Sayyaf)が指導する「ヘズベ・ワハダット」(Hizb-i Wahdat)へ参加した。ムジャーヒディーンには世界各国からイスラム教徒が参加し、フィリピン南部からも数多く志願していたが、彼もその一人であった。
このムジャーヒディーンはサウジアラビアの資金で運営され、CIAやパキスタン軍が訓練を行っていたが、1989年にソ連軍が全面撤収し、冷戦が終わると、ムジャヒディーンにはその後続いた内戦に参加する者もいたが、ジャンジャラーニは故郷であるフィリピンのミンダナオ島へ帰り、ミンダナオのイスラム社会をキリスト教徒(カトリック)中心のフィリピンから独立させることを目的に武装組織を結成した。「アブ・サヤフ」はかつて共に戦ったムジャヒディンの指導者からとった名である。
彼らはミンダナオ島でフィリピン警察や軍相手にゲリラ戦をしていたが、1998年にジャンジャラーニはフィリピン警察との銃撃戦で殺される。精神的指導者を失ったアブ・サヤフは二つに分裂し、イスラム社会の独立運動より強盗や身代金目的の誘拐を繰り返す犯罪集団となり、絶頂期には4000人いた構成員も2000年ごろには100人以下にまで減った。多くはモロ・イスラム解放戦線(MILF)などに合流したと考えられる。
2000年中ごろからフィリピンの大都市でテロが頻発するようになり、首都マニラでも高架鉄道の車両が爆破された。急激な治安悪化(もともと良くは無いが)は社会不安を引き起こし、大統領ジョセフ・エストラーダは失脚した。これらのテロは当初、共産主義勢力が起こしたのではないかと言われたが、2001年1月に就任したグロリア・アロヨは、アメリカ同時多発テロ事件以降、一連のテロはアブ・サヤフらイスラム系過激派の仕業として、米軍を巻き込んでミンダナオ島などで掃討作戦を行った。100名以下(50名程とも言われる)までに勢力を落としていたアブ・サヤフは、この作戦でほとんど壊滅したと見られる。
2007年1月、フィリピン国軍は最高指導者といわれるカダフィ・ジンジャラーニ(Khadaffy Janjalani )が死亡したと発表した。他の幹部も死亡しており、弱体化が予想される。東南アジアのテロ組織ジェマ・イスラミアとの強い関連が指摘されている。