尾道駅
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尾道駅 | |
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駅舎 |
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おのみち - Onomichi | |
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所属事業者 | 西日本旅客鉄道 |
所属路線 | ■山陽本線 |
キロ程 | 221.8km(神戸起点) |
所在地 | 広島県尾道市東御所町 |
電報略号 | ミチ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面3線 |
乗降人員 -統計年度- |
11,012人/日 -2006年度- |
開業年月日 | 1891年(明治24年)11月3日 |
尾道駅(おのみちえき)は、広島県尾道市東御所町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線の駅である。ICOCA利用可能駅であり、ICOCAの相互利用対象であるPiTaPa(スルッとKANSAI協議会)も利用可能。
山陽新幹線の新尾道駅よりも市街地により近く、海に近いためこの駅前後では瀬戸内の美しい景色が広がる。尾道市の玄関口となる駅で乗降客も多い。優等列車としては、寝台特急「富士」・「はやぶさ」(併結列車、上りのみ)、多客期のみ運転する臨時寝台特急「サンライズゆめ」(上り、下りとも)が停車する。
目次 |
[編集] 駅構造
単式・島式の複合型2面3線のホームを持つ地上駅。1番線が単式ホーム、2・3番線が島式ホームであり、相互に地下道で連絡している。駅舎はコンクリート造りで尾道市の玄関口にふさわしいものとなっているが、その反面、発車案内表示すら設置されていない。以前は改札上に字幕式のものが設置されていたが、1990年代後半に撤去されている。2007年7月には尾道市が移動円滑法を元に駅構内にエレベーター設置され、加えて上りホームのかさ上げ工事が行われた。なお、自動改札機が導入された際に北口には簡易型が設置された。 直営駅でみどりの窓口設置駅。
- のりば
1(下り本線) | ■山陽本線(下り) | 三原・西条・広島方面 | (入線メロディ:故郷) |
2(上り本線) | ■山陽本線(上り) | 福山・倉敷・岡山方面 | (入線メロディ:われは海の子) |
3(上り副本線) | (予備ホーム) |
- 「われは海の子」が入線メロディとして採用されているのは、岡山支社管内ではこの駅のみ。
- 3番線は待避線(上り副本線)であるが、現在定期列車の発着はない。まれに回送列車や臨時列車が使用する場合がある。構造上、三原方面から3番線に入線した列車は三原方面への折り返しも可能である。しかし、福山方面からの列車は3番線に入線できず、現在は当駅での折り返しはできない(以前は中線を使えば2番線に入る事により折り返す事ができた)。
- 3番線の外側には保線車両留置用の側線がある。かつては1番線と2番線の間に中線があったが、撤去されている。
[編集] 駅構内の施設
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- 南口
- デイリーイン(キオスクの小型コンビニ・ICOCA電子マネー取扱店)
- コインロッカー
- パーク&ライド駐車サービス
- 尾道ラーメン櫻屋
- みどりの券売機、みどりの窓口
- 北口
- 簡易型の券売機が1台のみ
[編集] 駅弁
[編集] 駅周辺
1999年に駅前再開発が行われ、様相が一変し商業施設やホール(しまなみ交流館)が建設された。個性を失い旅情が薄れたとの声もあるが、駅を降りすぐに目に飛び込んでくる尾道水道(瀬戸内海)は以前に増して広く、何物にもかえがたい景観である。駅前から望む対岸では日立造船向島西工場跡のクレーンのライトアップが行われ、2004年度のグッドデザイン賞を受賞している。ただしこのライトアップは工場跡の再利用に伴い2006年8月末をもって終了し、2007年7月より場所を西方の尾道造船のクレーンにおいて観光シーズンや週末を中心に行われている。
[編集] 南口
[編集] 北口
[編集] バス
[編集] 都市間高速バス
[編集] 一般路線バス
[編集] 市内観光バス
- 好きっぷライン
- 夕凪ライン
[編集] 山陽新幹線新尾道駅連絡バス
山陽新幹線新尾道駅へは、バスで平時15分~20分程度(おのみちバス・中国バスが運行)。
- 過去に運行していたバス路線
- しまなみライナー(尾道~今治線)
- おのみちうずしおロマン号(尾道~広島線)
[編集] 歴史
以前は駅西側(1番ホームの南側で現在の福屋)の立体駐車場付近に有蓋車用車扱貨物ホームがあり、国道2号線を横断して海沿いの倉庫まで専用線が伸びていた。駅前再開発による跡地利用や道路付け替え等も行われ往時の面影は薄れたが、駅西方から南に弧を描き伸びる駐輪場及び当駅から西へ1つ目の踏み切り西側にある駅方面東側に向かって多少広くなっている部分は、専用線の廃線跡である。新幹線博多延伸以前は旅客、貨物ともに盛んでとても賑わっていた。尾道駅には、以前駅舎の東側にもう一つ出口専用改札口があり、現在の改札口は入口専用だった。駅北側の駐輪場は、1960年代まであった尾道鉄道の駅があった場所である。
駅東側の踏切は1990年代半ばまでは踏切小屋があり、踏切番がハンドル操作で通過列車の折合いを見ながら遮断機の上げ下げを行っていたが、現在は遮断機が自動化されている。
- 1891年(明治24年)11月3日 - 山陽鉄道 福山駅~当駅間の開通と同時に開業。旅客・貨物の取扱を開始。
- 1892年(明治25年)7月20日 - 当駅~糸崎駅間が開通。
- 1906年(明治39年)12月1日 - 山陽鉄道の国有化により国鉄の駅となる。
- 1933年(昭和8年)3月23日 - 尾道鉄道が乗り入れ。
- 1964年(昭和39年)8月1日 - 尾道鉄道線が廃止。
- 1983年(昭和58年)12月25日 - 貨物の取扱を廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR西日本の駅となる。
- 2007年(平成19年)6月17日 - 自動改札機導入。
- 2007年(平成19年)7月13日 - エレベーター供用開始。
- 2007年(平成19年)9月1日 - ICOCA利用開始。
[編集] 隣の駅
[編集] その他
- 青春期を尾道で過ごした小説家である林芙美子の記した『放浪記』の一説に、「海が見えた。海が見える。五年振りに見る尾道の海はなつかしい。汽車が尾道の海へさしかかると、煤けた小さい町の屋根が提灯のように拡がって来る…」とあり、東尾道側からこの駅に向かう時に線路から見える景観が歌われている。また、尾道駅の駅スタンプには千光寺公園から見た尾道市街の他に、この放浪記の初めの2文を書いた碑が描かれている。
- 大和田建樹が1900年に作詞した『鉄道唱歌』では、「浄土西国千光寺 寺の名たかき尾道の 港を窓の下に見て 汽車の眠もさめにけり」と歌っており、山陽本線では舞子駅付近で海を眺めた後、笠岡駅付近に置いて一瞬だけ出会う以外は山の中を走るため、次第に山の風景が退屈になりかけた所で、目が覚めるほどの景観を持った尾道の港を見る情景が描かれている。
- 毎年夏に開催される花火大会では、花火終了後帰宅者が駅にあふれ駅構内への入場制限が行われている。
- AEDが正面改札のホーム側に設置されたが、これは俳優の八名信夫が、岡山駅に寄贈した内の1台を設置している。
- 過去に、駅前再開発に合わせ駅を橋上化し他方面に向かうペデストリアンデッキを設ける計画もあった。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
山陽本線(姫路-三原) |
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