レイ・セフォー
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基本情報 | |
---|---|
本名 | レイ・セフォー |
通称 | 南海の黒豹 シュガーフット |
階級 | スーパーヘビー級(K-1) |
国籍 | ニュージーランド |
誕生日 | 1971年2月15日(37歳) |
出身地 | ニュージーランド |
命日 | |
死地 | |
スタイル | ボクシング、キックボクシング |
プロキックボクシング戦績 | |
総試合数 | |
勝ち | |
KO勝ち | |
敗け | |
引き分け | |
無効試合 |
レイ・セフォー(Ray Sefo、1971年2月15日 - )は、ニュージーランド出身のキックボクサー、元プロボクサー、総合格闘家。身長180cm、体重106kg。「南海の黒豹」の異名を持つ。得意技はブーメランフック。
1996年にK-1初参戦。1997年には、まだヘビー級の体が出来上がっていなかったにもかかわらず、ジェロム・レ・バンナに逆転KO勝ちを収め、彼の実力が認められるようになる。
現在、セコンドには、実弟のロニー・セフォーやアーロン・セフォー、極真会館専属トレーナーであり従兄弟のファイ・ファラモエ(レイは日本では極真会館勢とトレーニングを積んでいる)などがついている。
目次 |
[編集] 来歴
ニュージーランドに生まれ、小さいころはカンフーを習ったりしていた。その後、伝説のボクサーシュガー・レイ・レナードに憧れ、ボクシングを始める。18歳の頃には既にプロボクサーとしてリングに上がっていた。
1996年12月8日、K-1 HERCULES '96にてK-1デビュー、アーネスト・ホーストにローキックで4RTKO負け。キックボクシングでは無敗だったが、初の敗戦となった。
1997年4月29日、K-1 BRAVES '97でジェロム・レ・バンナと対戦、先制のダウンを奪われるも、直後にブーメランフックで逆転失神KO勝利し注目を集める。この試合の模様は、セフォーのブーメランフックの威力を示す煽り映像に今もよく使われている。
2000年12月10日、K-1 WORLD GP 2000 決勝戦にて、準々決勝で武蔵に1RKO勝利、準決勝でシリル・アビディに勝利、決勝でアーネスト・ホーストに判定負けし、準優勝。
2001年になると、K-1と並行してプロボクシングの試合にも出場。プロボクシング6戦目で無名のチェスター・ヒューズ相手に、クリンチ直後の無防備にガードが下がった瞬間、相手のパンチの連打を喰らい、わずか44秒で1RKO負け。失神してリング外に叩き落された。日本でも衛星放送によりセフォーが白目をむいてロープにもたれた後、リング外へひっくり返る醜態が放送されてしまった。自身のK-1での人気が上昇中ということも手伝い、ボクシング世界王者の夢を断念。以後、K-1に専念する。
2001年10月8日、K-1 WORLD GP 2001 in FUKUOKAの敗者復活トーナメント1回戦でマーク・ハントと対戦。K-1史上に残る壮絶な打ち合いを制すが、負傷のため決勝を棄権した。
2004年12月4日、K-1 WORLD GP 2004 決勝戦のトーナメント1回戦で武蔵に判定負け。判定結果についてレイやそのセコンド陣は納得していなかった。
2004年12月31日、K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!でゲーリー・グッドリッジと対戦し、1R0分24秒レフェリーストップでTKO勝ちを収めた。
2005年6月14日、K-1 WORLD GP 2005 in HIROSHIMAでルスラン・カラエフと対戦し、開始37秒でフックで2度ダウンを奪い、タオル投入によるTKO勝ち。
2005年7月6日、HERO'Sでキム・ミンスと総合格闘技ルールで対戦。総合初挑戦とは思えない適応力をみせKO勝利。
2006年6月3日、K-1 WORLD GP 2006 in SEOULでルスラン・カラエフとリマッチを行い、カラエフのヒザの打ち終わりにカウンターのブーメランフックを喰らわせ失神KO勝ち。
2006年9月30日、K-1 WORLD GP 2006 開幕戦でステファン・レコと対戦、延長判定で敗北し5年連続東京ドーム進出は消えた。
2007年3月4日、K-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMAでセーム・シュルトとK-1スーパーヘビー級初代王者決定戦を行う。1R終了間際にシュルトからダウンを奪ったものの、2R開始直後にカウンターパンチを喰らい、失神KO負け。
2007年8月11日、K-1 WORLD GP 2007 IN LAS VEGASでビヨン・ブレギーと対戦。スプリットで判定負け。
2007年9月29日、K-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16でGP1回戦をピーター・アーツと対戦。右ローキックでダウンを奪われ1Rが終了、インターバル終了後セフォーは立ち上がることができず、セコンドからタオルが投入されTKO負け。
2008年2月、DREAMからミルコ・クロコップ戦のオファーを受けるも十分な練習時間がない事を理由に断る。しかしこの対戦が今夏実現することを視野に入れ、総合格闘技のトレーニングをランディ・クートゥアのジムで再開した[1]。
2008年4月13日、K-1 WORLD GP 2008 IN YOKOHAMAでバダ・ハリと対戦。1Rに3度のダウンを奪われKO負け。
[編集] 戦績
[編集] キックボクシング
キックボクシング 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
74 試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
55 勝 | 45 | 10 | 0 | 1 | 0 | |
18 敗 | 11 | 7 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | バダ・ハリ | 1R 2:43 KO(パンチ連打、3ノックダウン) | K-1 WORLD GP 2008 IN YOKOHAMA | 2008年4月13日 |
× | ピーター・アーツ | 1R終了時 TKO(タオル投入) | K-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16 【1回戦】 |
2007年9月29日 |
× | ビヨン・ブレギー | 3R終了 判定1-2 | K-1 WORLD GP 2007 IN LAS VEGAS | 2007年8月11日 |
× | セーム・シュルト | 2R 0:26 KO(左ストレート) | K-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMA 【K-1スーパーヘビー級初代王者決定戦】 |
2007年3月4日 |
○ | メルヴィン・マヌーフ | 1R 0:40 KO(右フック) | K-1 WORLD GP 2006 in TOKYO 決勝戦 【リザーブファイト】 |
2006年12月2日 |
× | ステファン"ブリッツ"レコ | 延長R終了 判定0-3 | K-1 WORLD GP 2006 in OSAKA 開幕戦 【1回戦】 |
2006年9月30日 |
○ | アゼム・マクスタイ | 3R 2:02 TKO(バックスピンキック) | K-1 WORLD GP 2006 in LAS VEGAS II | 2006年8月12日 |
○ | ルスラン・カラエフ | 1R 1:42 KO(右フック) | K-1 WORLD GP 2006 in SEOUL | 2006年6月3日 |
○ | フランソワ・"ザ・ホワイトバッファロー"・ボタ | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2006 in AUCKLAND | 2006年3月5日 |
× | セーム・シュルト | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD GP 2005 in TOKYO 決勝戦 【準々決勝】 |
2005年11月19日 |
○ | ガオグライ・ゲーンノラシン | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2005 in OSAKA 開幕戦 【1回戦】 |
2005年9月23日 |
○ | ルスラン・カラエフ | 1R 0:37 TKO(タオル投入) | K-1 WORLD GP 2005 in HIROSHIMA | 2005年6月14日 |
○ | ゲーリー・グッドリッジ | 1R 0:24 TKO(レフェリーストップ) | K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!! | 2004年12月31日 |
× | 武蔵 | 延長R終了 判定0-3 | K-1 WORLD GP 2004 決勝戦 【準々決勝】 |
2004年12月4日 |
○ | 天田ヒロミ | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2004 in TOKYO 開幕戦 【1回戦】 |
2004年9月25日 |
○ | マーヴィン・イーストマン | 1R 1:32 TKO(右ストレート) | K-1 WORLD GP 2004 in LAS VEGAS II | 2004年8月7日 |
○ | ボブ・サップ | 2R 0:29 KO(右ボディーブロー) | K-1 BEAST 2004 in 静岡 | 2004年6月26日 |
× | 武蔵 | 3R終了 判定0-2 | K-1 WORLD GP 2003 決勝戦 【準々決勝】 |
2003年12月6日 |
○ | カーター・ウィリアムス | 2R 1:54 判定2-0 | K-1 WORLD GP 2003 開幕戦 ALL STARS 【1回戦】 |
2003年10月11日 |
○ | 富平辰文 | 5R 2:15 TKO(タオル投入) | K-1 WORLD GP in FUKUOKA | 2003年7月13日 |
○ | ペレ・リード | 3R 1:15 TKO(タオル投入) | K-1 WORLD GP 2003 in SAITAMA | 2003年3月30日 |
× | アーネスト・ホースト | 1R 1:49 KO(右足負傷) | K-1 WORLD GP 2002 決勝戦 【準決勝】 |
2002年12月7日 |
○ | ピーター・アーツ | 3R終了 判定2-1 | K-1 WORLD GP 2002 決勝戦 【準々決勝】 |
2002年12月7日 |
○ | マーティン・ホルム | 3R終了 判定2-0 | K-1 WORLD GP 2002 開幕戦 【1回戦】 |
2002年10月5日 |
○ | ギルバート・アイブル | 2R 2:07 KO(右ローキック) | K-1 WORLD GP 2002 in FUKUOKA | 2002年7月14日 |
○ | ジュリオ・セザール・サンタナ | 1R 0:37 KO(右フック) | K-1 SURVIVAL 2002 ~富山初上陸~ | 2002年6月2日 |
○ | マイク・ベルナルド | 5R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2002 in NAGOYA | 2002年3月3日 |
○ | マーク・ハント | 3R 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2001 in FUKUOKA 【敗者復活戦 Bブロック1回戦】 |
2001年10月8日 |
× | レミー・ボンヤスキー | 4R終了時 TKO(タオル投入) | K-1 SURVIVAL 2001 ~K-1 JAPAN GP 開幕戦~ | 2001年6月24日 |
○ | アダム・ワット | 1R 2:20 KO(右フック) | K-1 WORLD GP 2001 in OSAKA 【1回戦】 |
2001年4月29日 |
○ | マイケル・マクドナルド | 1R 1:56 KO(右フック) | K-1 GLADIATORS 2001 | 2001年3月17日 |
× | アーネスト・ホースト | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD GP 2000 決勝戦 【決勝】 |
2000年12月10日 |
○ | シリル・アビディ | 1R 1:45 KO(フック連打) | K-1 WORLD GP 2000 決勝戦 【準決勝】 |
2000年12月10日 |
○ | 武蔵 | 1R 1:38 KO(フック連打) | K-1 WORLD GP 2000 決勝戦 【準々決勝】 |
2000年12月10日 |
× | シリル・アビディ | 2R終了時 TKO(タオル投入) | K-1 WORLD GP 2000 in YOKOHAMA 【準決勝】 |
2000年8月20日 |
○ | フランク・オットー | 1R 2:24 KO(右ローキック) | K-1 WORLD GP 2000 in YOKOHAMA 【1回戦】 |
2000年8月20日 |
× | ピーター・アーツ | 3R 2:24 KO(右ローキック) | K-1 THE MILLENNIUM | 2000年4月23日 |
× | サム・グレコ | 3R終了 判定0-3 | K-1 GRAND PRIX '99 決勝戦 【準々決勝】 |
1999年12月5日 |
○ | サミール・ベナゾーズ | 1R 2:14 KO(右ローキック、3ノックダウン) | K-1 GRAND PRIX '99 開幕戦 【1回戦】 |
1999年10月3日 |
○ | ジム・ミューレン | 2R 0:45 KO(右フック) | K-1 SURVIVAL '99 | 1999年6月6日 |
× | アンディ・フグ | 4R終了時 TKO(タオル投入) | K-1 REVENGE '99 | 1999年4月25日 |
× | アンディ・フグ | 2R 2:28 KO(右ストレート、2ノックダウン) | K-1 GRAND PRIX '98 決勝戦 【準々決勝】 |
1998年12月13日 |
○ | ステファン"ブリッツ"レコ | 5R終了 判定3-0 | K-1 GRAND PRIX '98 開幕戦 【1回戦】 |
1998年9月27日 |
× | マット・スケルトン | 2R終了時 TKO(右脛負傷) | K-1 BRAVES '98 | 1998年5月24日 |
△ | フランシスコ・フィリォ | 5R終了 判定1-1 | K-1 KINGS '98 | 1998年4月9日 |
○ | ステファン・レヴェヨン | 2R KO | ISKAキックボクシング | 1998年1月23日 |
○ | ジャン・クロード | 7R終了 判定3-0 | K-1 DREAM '97 【WKBA世界世界スーパーヘビー級王座決定戦】 |
1997年7月20日 |
○ | ジェロム・レ・バンナ | 1R 1:13 TKO(右フック) | K-1 BRAVES '97 | 1997年4月29日 |
○ | ピーター・マエストロビッチ | 4R 1:36 TKO(右ボディフック) | K-1 KINGS '97 | 1997年3月16日 |
× | アーネスト・ホースト | 4R 0:25 TKO(右ローキック、タオル投入) | K-1 HERCULES '96 | 1996年12月8日 |
[編集] 総合格闘技
総合格闘技 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
1 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
1 勝 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
0 敗 | 0 | 0 | 0 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
○ | キム・ミンス | 2R 0:30 KO(右ハイキック) | HERO'S 2005 ミドル級世界最強王者決定トーナメント |
2005年7月6日 |
[編集] プロボクシング
プロボクシング 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
6 試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
5 勝 | 4 | 0 | 0 | |||
1 敗 |
戦目 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
6 | 2001年9月2日 | 負 | 1R 0:44 | KO | チェスター・ヒューズ | アメリカ | - |
5 | 2001年6月3日 | 勝 | 1R 0:50 | TKO | ジョー・レンハート | アメリカ | - |
4 | 2001年2月11日 | 勝 | 1R 0:51 | TKO | スティーブ・グリフィン | アメリカ | - |
3 | 1996年5月10日 | 勝 | 3R | TKO | ニッキー・ファーマタ | ニュージーランド | - |
2 | 1995年3月16日 | 勝 | 4R | 判定 | ポール・ベイカー | ニュージーランド | - |
1 | 1994年11月24日 | 勝 | 1R | TKO | アレックス・カトゥー | ニュージーランド | デビュー戦 |
[編集] 獲得タイトル
- WMTF世界ライトヘビー級王座(1995年)
- ISKA世界クルーザー級王座(1995年)
- ISKA世界スーパークルーザー級王座(1996年)
- WMTF世界ヘビー級王座(1996年)
- WKBF世界スーパーヘビー級王座(1997年)
- WKBA世界スーパーヘビー級王座(1997年)
- K-1 WORLD GP 2000 準優勝(2000年)
[編集] ファイトスタイル
ブーメランフックと呼ばれる死角から飛んでくるフックをフィニッシュブローとする。決まるのは特にカウンターが多く、彼の一発は一撃必殺となる。対戦相手が連打もしくはキレのある攻撃をすると、「フォー」と奇声を上げ、とにかく嬉しそうに笑顔を作ると「もっと打って来い」といわんばかりに挑発するのがお決まりである。余裕のあるとき、もしくは追いつめられた時、このいずれかの場合にノーガード戦法に入ることが多い(このノーガードは1998年の対フランシスコ・フィリォ戦で初披露された)。このノーガード戦法は一見隙が多いように見えるが、相手の動きが見えやすくフェイントに反応してブロッキングの体制に入る動きから実際は防御を捨てているものではないことが分かる。余裕がある時に彼がこの状態に入ると、たとえロープ際やコーナーに完全に追い詰められても、相手の攻撃を華麗に回避する。そして、相手が攻め疲れても、さらに腕を振るなどの挑発し、わざと相手に攻めさせる。完全に相手のスタミナが切れた時や、決め時と判断した時に止めを刺しに行く。そのため必ず両者に見せ場が生まれるため観客は大いに盛り上がる。格闘技における致命的な一発となるのはカウンターの原理に沿ったものである(相手が防御に意識が行っていない攻撃時、または攻撃がこないであろうと油断している箇所への攻撃)が、このノーガード戦法はそういう意味ではそのままノックアウトされにくく理にかなっているといえなくもないが、その反面、打撃をモロに食らってしまうことが多く、顔面が腫れ上がる場面がしばしば見られる。マーク・ハント戦やカーター・ウィリアムス戦がその例である。
また、ローキックは大の苦手で、K-1デビュー戦もローキックでのKO負けだった。現在もローキックに対する防御に難があり、技術の高い選手にはそこにつけ入れられることが多い。
[編集] 人物
- 長年K-1で戦ってきたライバル達への尊敬心は高く、セフォーの自宅の自室にはジェロム・レ・バンナ、ピーター・アーツ、アーネスト・ホースト、マイク・ベルナルド、アンディ・フグらの写真が飾られている。
- スティーブン・セガールやジャッキー・チェンなどのアクションスターのファンでもあり、将来はムービースターになるのが彼の夢である。そのため、出演作品となった「ゴジラ FINAL WARS」では、見事な演技を披露した。
[編集] 出演作品
- 「ゴジラ FINAL WARS」(グレン)
[編集] 脚注
- ^ DREAM ADDS MORE LIGHTWEIGHT GRAND PRIX BOUTS MMA WEEKLY 2008年2月26日